個人情報保護法改正でAI開発が直面する同意なき利用の新局面を読む
AI開発を押し出す改正法の核心
令和8年改正個人情報保護法は、AI開発に必要なデータ連携を進めるための規制緩和と、悪質な個人情報利用を抑える規制強化を同時に盛り込んだ改正です。法律は2026年7月10日に成立し、同月17日に公布されました。原則として公布から2年以内、つまり2028年7月17日までの政令で定める日に施行される見通しです。
最大の焦点は、個人データの第三者提供や公開されている要配慮個人情報の取得について、一定の「統計作成等」に限って本人同意を不要にする点です。ここには、統計作成等と整理できるAI開発も含まれます。ただし、これはAI企業が自由に個人情報を学習へ投入できるという意味ではありません。むしろ、データを使う目的、加工後の成果物、再提供の制限、安全管理を事後的に説明できる企業だけが使える制度へ移ることを意味します。
同意不要特例で変わるデータ連携
AI開発を含む統計作成等の定義
改正法が置いた特例は、AI産業にとって大きな制度変更です。これまで個人データを第三者に提供する場合は、原則として本人の同意が必要でした。要配慮個人情報の取得も、病歴、信条、犯罪歴など差別につながり得る情報であるため、より慎重な扱いが求められてきました。改正後は、統計情報等の作成だけに使われることが担保される場合、個人データの第三者提供や、現に公開されている要配慮個人情報の取得で、本人同意を不要にできる道が開かれます。
ここで重要なのは「統計作成等」の範囲です。政府資料では、大量の情報を解析し、その傾向や性質に関する情報を作成する行為が想定されています。個人に関する情報そのものを作る行為は除かれます。つまり、AIモデルの学習や評価に個人データを使ったとしても、目的が個人の識別、個別の人物評価、営業リスト化、信用判断、採用判断へ広がれば、特例の趣旨から外れます。
製造業の現場に近い言い方をすれば、今回の制度は「材料の投入」を緩める代わりに、「工程管理」と「出荷物の品質保証」を厳しく見る設計です。AI開発では、学習データ、検証データ、評価データ、ログ、アノテーション、外部委託先の処理結果が連鎖します。どのデータがどこから来て、どの目的で使われ、どの段階で個人との対応関係を切ったのかを追跡できなければ、特例の説明は難しくなります。
書面合意と公表に残る責任
特例の利用には、提供元と提供先の間の書面合意、公表、目的外利用の禁止、再提供の禁止といった担保が求められます。個人情報保護委員会は、2026年8月26日に政令・規則等で定める事項の全体像を示し、統計作成・AI開発等のうち個人の権利利益を害するおそれが少ないもの、公表事項、基準適合体制などを委員会規則やガイドラインで具体化する方針を示しました。
この点は、AI開発会社だけの問題ではありません。小売、金融、医療、モビリティ、製造設備、教育、自治体サービスなど、多くの現場がデータ提供元になります。データを渡す側は「研究開発目的だから大丈夫」と判断するだけでは足りません。提供先が本当に統計作成等に限定して利用するのか、外部APIやクラウド基盤に再投入しないのか、モデル評価時に個人情報が出力されないのかを契約と監査で確認する必要があります。
特に生成AIでは、データが直接検索されるデータベースとは異なり、学習後のモデルの挙動が直感的に見えにくいという問題があります。個人情報保護委員会は2023年の注意喚起で、生成AIサービスに入力された個人情報が機械学習に利用され、正確または不正確な内容で出力されるリスクに触れています。改正後も、学習利用の可否、入力データの保存、削除、オプトアウト、ログ管理を確認する実務は軽くなりません。
保護強化が示すプライバシー境界
顔特徴データと16歳未満への配慮
改正法は、利活用を進めるだけでなく、プライバシー侵害が深刻化しやすい領域に新しい規律を置きました。代表例が顔特徴データです。顔の特徴から本人を識別できる情報は、一度取得されると本人が気づきにくく、変更も困難です。政府資料は、顔特徴データ等について周知義務を設け、利用停止等請求の要件を緩和し、オプトアウト制度による第三者提供を禁止する方向を示しています。
これは、店舗カメラ、工場の入退場管理、イベント会場、交通インフラ、スマートビルなどに広く影響します。防犯や安全管理の名目で顔認識を導入する場面は増えていますが、AI精度の向上を目的に画像や特徴量を二次利用する場合、本人が合理的に予期できる範囲を超えやすくなります。顔特徴データは、漏えい時の被害回復も困難です。パスワードのように交換できない情報だからです。
16歳未満の子どもの個人情報についても、同意取得や通知等の対象を法定代理人とすることが明文化され、本人の最善の利益を優先して考慮すべき責務規定が置かれます。教育AI、学習支援アプリ、見守り端末、スポーツ解析サービスでは、子どもの成績、行動、発達、健康に関するデータが蓄積されます。AIが学習履歴から弱点を推定すること自体は有益ですが、その情報が広告、進路誘導、保険、採用に転用されれば、将来にわたる不利益につながります。
連絡可能情報と名簿ビジネスの監督
もう一つの重要な改正が、特定の個人に働きかけられる個人関連情報への規律です。電話番号、住所、メールアドレス、Cookie IDなどは、単体では個人情報に当たらない場合があります。しかし、それらが健康情報、購買傾向、資産状況、関心分野と結び付けば、広告、詐欺、差別的な勧誘に使われる危険が高まります。
改正法は、こうした「連絡可能個人関連情報」について、不適正利用や不正取得を禁止する方向を示しました。これは、名簿販売やターゲティング広告だけでなく、AIを使ったスコアリング、セグメント生成、見込み客抽出にも関係します。AIが「高齢で資産を持つ可能性が高い人」「不安を抱えやすい人」「投資詐欺に反応しやすい人」を推定できるなら、個人情報そのものを持たなくても権利利益を侵害できます。
個人情報保護委員会の令和6年度年次報告では、民間事業者等に関する漏えい等報告の処理件数が19,056件、行政機関等では1,951件でした。民間分では要配慮個人情報を含む漏えい等が45.4%、不正アクセス等の疑いがあるものが39.9%とされます。AI時代のリスクは、単なる「データ漏えい」ではなく、漏れたデータが自動で整理され、結合され、攻撃対象の選別に使われる点にあります。
再識別と犯罪利用が広げる実務リスク
本人同意を不要にする特例が広がると、最も警戒すべき論点は再識別です。統計情報やAIモデルが個人との対応関係を排斥する前提で作られていても、まれな属性、地域、職歴、病歴、投稿内容が組み合わされると、特定個人を推測できる場合があります。欧州データ保護会議は、AIモデルが匿名といえるかどうかについて、個人の識別や個人データの抽出が非常に起こりにくいかをケースごとに見る考え方を示しています。日本企業も、単に氏名を削除しただけで安全と考えるべきではありません。
もう一つは犯罪利用です。警察庁の2025年上半期統計では、特殊詐欺の認知件数は13,213件、被害額は597.3億円でした。警察官等をかたる手口だけで認知件数4,737件、被害額389.3億円に上ります。SNS型ロマンス詐欺も2,461件、被害額239.6億円とされています。これらの数字は、攻撃者が相手の属性や心理状態に合わせた接触を行うほど、被害が高額化しやすいことを示しています。
AIは、この犯罪インフラをさらに効率化します。流出名簿や公開情報をもとに、年齢層、居住地域、勤務先、家族構成、趣味、投資関心を推測し、自然な日本語のメッセージを大量生成できます。音声合成や画像生成を組み合わせれば、本人確認や家族確認の信頼を揺さぶる攻撃も起こり得ます。警察白書が指摘するSNSを使った犯罪実行者募集の実態も、データと匿名通信が結び付いた犯罪の拡張を示すものです。
もちろん、今回の改正は犯罪を放置するものではありません。個人情報データベース等の不正提供等に関する罰則は強化され、詐欺行為や不正アクセス等による個人情報の不正取得にも新たな罰則が設けられます。重大な違反行為によって個人の権利利益が侵害された場合などには、財産的利益等に相当する課徴金の納付命令も導入されます。緊急命令の対象も、権利利益の侵害が切迫している場合へ広がります。
ただし、罰則強化は事後対応です。AI開発の現場では、データを渡す前に止める設計が必要です。データカタログ、利用目的の棚卸し、要配慮情報の検出、希少属性のマスキング、差分プライバシー、アクセス権限、ログ監査、学習後モデルへの抽出テストを組み合わせる必要があります。AISIのデータ品質管理やAIセーフティ評価の考え方が重視するように、AIの信頼性はモデルだけでなく、データの品質、由来、管理工程で決まります。
国際的にも、同じ方向の議論が進んでいます。EUのAI Actは高リスクAIに対し、訓練・検証・テストデータの由来、収集目的、代表性、バイアス検出、データギャップの管理を求めています。日本の改正法はEU型の包括規制とは異なりますが、グローバルにサービスを出す企業にとって、本人同意が不要かどうかだけでなく、説明可能なデータガバナンスを備えているかが競争条件になります。
施行前に企業が整える統制基盤
企業がまず行うべきことは、AI開発用データの棚卸しです。顧客データ、従業員データ、IoTログ、問い合わせ履歴、画像、音声、位置情報、外部購入データを分類し、個人情報、要配慮個人情報、個人関連情報、匿名加工情報、仮名加工情報のどれに当たるかを確認する必要があります。特例を使う場合は、統計作成等に限定される目的、提供先、再提供禁止、削除手順を文書化すべきです。
次に、AIベンダーやクラウド事業者との契約を見直す必要があります。入力データが学習に使われるのか、海外移転があるのか、サブプロセッサーがいるのか、障害時や漏えい時の通知はどうなるのかを明確にすることが不可欠です。個人情報保護委員会がOpenAIに対して、要配慮個人情報の取得抑制や利用目的の日本語での通知を求めた事実は、海外AIサービスにも日本法上の説明責任が及ぶことを示しています。
改正法は、AI開発を止める法律ではありません。むしろ、データを使える企業と使えない企業の差をはっきりさせる法律です。同意取得だけに依存する時代から、データの由来、用途、加工、提供、評価、監査を一貫して管理する時代に移ります。施行までの準備期間は長いようで短いです。AI投資を進める企業ほど、法務、情報システム、研究開発、事業部門をまたいだデータ統制を前倒しで整える必要があります。
参考資料:
- 令和8年 改正個人情報保護法について
- 個人情報保護法等の一部を改正する法律について
- 個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律の成立を受けた個人情報保護委員会の今後の取組について
- 個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律 政令・規則等で定める事項の全体像について
- 個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律案
- 生成AIサービスの利用に関する注意喚起等
- OpenAIに対する注意喚起の概要
- 令和6年度個人情報保護委員会 年次報告
- 人工知能関連技術の研究開発及び活用の適正性確保に関する指針
- データ品質マネジメントガイドブック
- AIセーフティに関する評価観点ガイド
- 令和7年上半期における特殊詐欺、SNS型投資・ロマンス詐欺の認知・検挙状況について
- SNSを悪用した犯罪実行者募集の実態と対策
- EDPB opinion on AI models: GDPR principles support responsible AI
- Article 10: Data and data governance
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