高齢者の薬漬け問題を解決する減薬の最前線
はじめに
日本では75歳以上の高齢者の約25%が7種類以上の薬を処方されています。複数の診療科を受診するうちに薬が積み重なり、1日に20錠以上を服用するケースも珍しくありません。水と薬だけでお腹が膨れ、食事量が減り、日中の活動量が低下する――本来は生活を改善するための薬が、むしろ生活の質を損なう原因になっているのです。
こうした多剤服用による弊害は「ポリファーマシー」と呼ばれ、医療現場で深刻な問題として認識されています。本記事では、ポリファーマシーの実態とリスク、国や医療現場が進める減薬の最新動向、そして患者自身ができる対策を詳しく解説します。
ポリファーマシーとは何か
単なる「薬の数」の問題ではない
ポリファーマシーとは、単に多くの薬を飲んでいる状態を指すのではありません。厚生労働省の定義では、多種類の薬の服用により副作用などの有害事象が生じている、あるいはそのリスクが高まっている状態を意味します。必要な薬を複数服用すること自体は問題ではなく、不必要・不適切な薬が含まれていることが本質的な課題です。
一般的に6種類以上の薬を併用している場合に有害事象のリスクが顕著に高まるとされています。東京大学医学部附属病院の調査では、6種類以上の薬を併用していた患者の有害事象発生率は10%以上に達しました。
日本の高齢者における処方の実態
厚生労働省の2023年6月時点のデータによると、75歳以上の患者では院外処方の約24%が7種類以上の薬を処方されています。5種類以上まで範囲を広げると、実に40%を超える高齢者が該当します。
背景には、日本の医療制度の特徴があります。高齢者は複数の慢性疾患を抱えることが多く、内科・整形外科・眼科・皮膚科など複数の診療科を受診します。それぞれの医師が独立して処方するため、全体として薬の数が膨れ上がるのです。
多剤服用がもたらす深刻な健康リスク
転倒・骨折のリスクが急増
ポリファーマシーの最も深刻な影響の一つが転倒リスクの増大です。ふらつきや転倒は、5種類以上の薬を使用する高齢者の4割以上に発生するという報告があります。日本の縦断調査では、5種類以上の薬剤を処方された高齢外来患者で転倒のリスクが約4.5倍に上昇することが確認されました。
高齢者の転倒は骨折につながりやすく、特に大腿骨骨折は寝たきりの主要な原因です。寝たきりの状態が続くと認知機能の低下も加速し、要介護状態に進行する恐れがあります。
認知機能への影響
複数の薬剤の相互作用により、認知機能が低下するケースも報告されています。特に抗コリン作用を持つ薬剤(一部の抗ヒスタミン薬、過活動膀胱治療薬など)や、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬・抗不安薬は、高齢者の認知機能に悪影響を与えやすいとされています。
北里大学病院の認知症疾患医療センターによると、薬剤性の認知機能障害は適切な減薬により改善が期待できる場合があり、認知症と誤診されているケースも少なくありません。
処方カスケードという悪循環
ポリファーマシーを悪化させる大きな要因が「処方カスケード」です。これは、薬の副作用で生じた症状を新たな病気と誤認し、さらに別の薬が追加される連鎖的な現象を指します。
たとえば、降圧薬の副作用でめまいが生じ、それに対してめまい止めが処方される。そのめまい止めの副作用で便秘になり、下剤が追加される――このように、薬が薬を呼ぶ悪循環に陥ることがあるのです。処方カスケードは複数の医療機関を受診する高齢者で特に起きやすく、医師間の情報共有が不十分な場合にリスクが高まります。
国が進めるポリファーマシー対策
厚生労働省のガイドラインと制度整備
厚生労働省は2018年5月に「高齢者の医薬品適正使用の指針(総論編)」を公表しました。翌年6月には療養環境別の各論編も取りまとめ、処方見直しのフローチャートや薬剤の相互作用に関する注意事項を整理しています。
2024年7月には「病院における高齢者のポリファーマシー対策の始め方と進め方」の改訂版が発表され、「地域における高齢者のポリファーマシー対策の始め方と進め方」も新たに策定されました。病院単体ではなく、地域全体で取り組む枠組みが整備されつつあります。
診療報酬によるインセンティブ
2024年度の診療報酬改定では、ポリファーマシー解消に向けた評価が拡充されました。「服用薬剤調整支援料」は区分1と区分2に分かれ、薬剤師が処方医に減薬を提案し、実際に2種類以上の内服薬が減少した場合に算定できます。
病院側にも「薬剤総合評価調整加算」が設けられ、入院時に6種類以上の薬を内服している患者に対して処方内容を総合的に評価し、2種類以上の減薬を実現した場合に加算が認められます。ただし、この加算の算定率は1割以下の医療機関が95%にのぼるとの調査もあり、制度の活用はまだ途上です。
10年ぶりに改訂された薬物療法ガイドライン
2025年7月には、日本老年医学会が「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2025」を発刊しました。10年ぶりの改訂となるこのガイドラインでは、「高齢者に対して特に慎重な投与を要する薬物のリスト」と「開始を考慮するべき薬物のリスト」が大幅にアップデートされています。
新ガイドラインでは、病状だけでなく認知機能、日常生活活動(ADL)、栄養状態、生活環境などを高齢者総合機能評価(CGA)を用いて総合的に評価することの重要性が強調されています。
現場で進む減薬の取り組み
薬剤師主導のデプレスクライビング
「デプレスクライビング」とは、不要または有害な薬を計画的に減らしていく取り組みです。日本では薬剤師が中心となってこの活動を推進しています。2025年に発表された研究では、地域薬局の薬剤師が主導するデプレスクライビング介入の効果が確認されました。
薬剤師は患者の服薬状況を最も身近に把握できる立場にあります。お薬手帳の情報をもとに重複処方や不要な薬を見つけ出し、処方医に減薬を提案する。こうした薬剤師の専門性を活かした取り組みが全国に広がりつつあります。
かかりつけ薬局による一元管理
複数の医療機関から処方された薬を一元的に管理する「かかりつけ薬局」の役割が重要性を増しています。1つの薬局に処方箋を集約することで、薬の重複や相互作用を確認しやすくなります。
電子お薬手帳の普及も一元管理を後押ししています。冊子タイプのお薬手帳は持参を忘れることがありますが、スマートフォンアプリであれば常に最新の情報を携帯できます。処方薬だけでなく、市販薬やサプリメントの服用状況も記録することで、より正確な薬歴管理が可能です。
注意点・今後の展望
まだ残る課題
全国調査によると、ポリファーマシーの削減率は75〜89歳で19.3%、90歳以上で16.5%の改善が4年間で確認されました。一方で、認知症患者への抗精神病薬の処方削減は進んでおらず、分野によって対策の進捗に差があります。
また、患者自身が「薬を減らすこと」に不安を感じるケースも少なくありません。長年飲み続けてきた薬を中止することへの抵抗感は根強く、医療者と患者の間で十分なコミュニケーションが求められます。
患者自身ができること
過剰処方を防ぐために、患者や家族ができることもあります。まず、受診するすべての医療機関にお薬手帳を持参し、現在服用中の薬をすべて伝えることが基本です。市販薬やサプリメントも含めて情報を共有しましょう。
体調の変化を感じたら「もしかしたら薬の副作用かもしれない」という視点を持つことも大切です。自己判断で薬を中止するのは危険ですが、気になる症状があればかかりつけ医や薬剤師に相談してください。
まとめ
高齢者のポリファーマシーは、転倒・骨折、認知機能低下、QOL低下など深刻な健康リスクをもたらします。厚生労働省のガイドライン整備や診療報酬での評価拡充、薬剤師主導のデプレスクライビングなど、国を挙げた対策は着実に進んでいます。
しかし、制度があっても活用が進まなければ意味がありません。医療者間の連携強化と、患者自身の積極的な関与が不可欠です。かかりつけ薬局を決めてお薬手帳を活用し、処方内容に疑問があれば遠慮なく相談する。こうした一人ひとりの行動が、薬漬けの現状を変える第一歩となるでしょう。
参考資料:
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