日本の原潜保有論が再浮上、68年の検討史と国家決断の条件とは
原潜論が安保3文書改定で再浮上した理由
日本の原子力潜水艦保有論が、年内に予定される安全保障関連3文書の改定を前に再浮上しています。小泉進次郎防衛相は2026年10月9日の記者会見で、原潜を含む「あらゆる選択肢を排除しない」と表明する一方、特定の方式を決め打ちしていないとも強調しました。
原潜とは原子炉を推進力に使う潜水艦であり、核兵器を搭載する潜水艦と同義ではありません。今回の議論で主に想定されるのは、通常弾頭の長射程ミサイルなどを運用する攻撃型原潜です。ただし、推進方式だけを置き換えれば完成する装備ではなく、原子炉、安全規制、核燃料、基地、専門人材、廃炉まで含む国家事業となります。
1958年の民間試設計から68年、構想は何度も現れては消えてきました。今回問われているのは「原潜を持てるか」だけではありません。どの任務に必要なのか、他の装備より費用対効果が高いのか、戦後の原子力政策を変える政治的意思があるのかが核心です。
民間試設計から祖父の否定へ至る検討史
1958年の計画計算書と官民研究の境界
日本の原潜構想の起点として挙げられるのが、川崎重工業名義で1958年5月に作成された「2,500T 8,000SHP 原子力潜水艦 原子動力装置 計画計算書」です。後に国会で取り上げられた資料では、加圧水型原子炉を想定し、試設計を通じて艦として成立し得るとの結論を示していました。
ただし、これは政府が原潜導入を正式決定した計画ではありません。当時は米国の原子力潜水艦ノーチラスや原子力貨客船サバンナの登場を受け、国内の造船・重工各社が舶用原子炉を広く研究していた時期です。原子力委員会の専門部会も1957年に設置され、小型軽量炉、放射線遮蔽、衝突・沈没事故、放射性廃棄物などを検討していました。
したがって「68年間、政府が原潜を開発し続けてきた」と捉えるのは正確ではありません。実態は、民間の先行研究、安全保障上の問題意識、政府内の調査が断続的に接近しながら、正式な装備計画には移行しなかった歴史です。この官民研究と政策決定の距離が、原潜論を繰り返し「検討」の段階にとどめてきました。
小泉純也答弁が残した条件付きの否定
1965年3月、当時の小泉純也防衛庁長官は衆議院本会議で、現段階では原潜を「つくるというような意思もございません」と述べ、具体的な検討も否定しました。純也氏は小泉進次郎防衛相の祖父に当たります。
もっとも、この答弁は永久的な禁止を宣言したものではありません。純也氏は、世界の商船が原子力推進となる時代が来れば、改めて考慮する可能性にも言及しました。翌月に示された政府統一見解も、船舶の推進力として原子力利用が一般化していない現状では、原子力基本法の下で自衛艦への利用を認められないという条件付きの整理でした。
ここに、その後の議論を左右する二重構造があります。政府は「現状では持たない」と答えながら、原子力船が一般化した将来の再検討までは否定しませんでした。1980年代以降も、この「一般化」という条件が繰り返し参照され、保有を明確に決断することも、将来の可能性を完全に閉じることも避けてきたのです。
2023年11月の国会でも、木原稔防衛相は通常動力型潜水艦を毎年1隻取得しており、原潜を保有する計画はないと答弁していました。それから3年足らずで「保有計画なし」から「選択肢として排除しない」へ表現が変わった点は、今回の議論の政治的重要性を示しています。
「むつ」が刻んだ技術以上の社会的教訓
日本は軍用原潜を建造した経験こそありませんが、原子力船「むつ」を設計、建造、運航した実績があります。「むつ」は1969年に進水したものの、1974年の出力上昇試験中に放射線漏れが発生しました。地元漁業者を中心に帰港反対運動が起き、試験再開まで約16年を要しました。
改修後の「むつ」は1991年から実験航海を行い、技術的な知見を残しました。しかし政策上の最大の教訓は、原子炉が最終的に動いたという事実だけではありません。安全説明への不信や母港問題が、技術工程そのものを長期停止させた点にあります。
軍用艦は任務や構造を全面公開できず、原子力基本法が掲げる民主・自主・公開の原則との緊張も強まります。原潜導入には、炉の安全性だけでなく、事故時の避難計画、港湾の放射線監視、損害賠償、使用済み燃料と原子炉区画の処分について、平時から地域社会の信頼を得る制度が不可欠です。
孫の選択肢論を阻む法律と国家基盤の壁
原子力基本法と憲法を分ける法的整理
原潜保有をめぐっては、憲法、原子力基本法、非核三原則、核不拡散条約が混同されがちです。政府は、原子力を自衛艦の推進力に利用すること自体は憲法上禁止されないとの立場です。核兵器を搭載しない原潜であれば、非核三原則の「持たず、作らず、持ち込ませず」に直ちに抵触するわけでもありません。
最大の国内法上の論点は、原子力利用を「平和の目的に限る」と定める原子力基本法第2条です。1965年の政府統一見解は、原子力推進が商船に一般化していない現状では、自衛艦への利用も認められないと整理しました。政府は2025年末の答弁書でも、原子力利用が一般化していないとの認識に変更はないとしています。
この見解を維持したまま原潜を保有するなら、原子力基本法の改正か、従来解釈の変更が必要になる可能性があります。単に「原子力は推進力であって兵器ではない」と説明するだけでは、過去の国会答弁との整合性を確保できません。
法改正は論点を国会で明示できる半面、原子力の平和利用という戦後政策の根幹を再定義することになります。解釈変更で進めれば手続きは短くても、政策の正統性や予見可能性に疑問が残ります。装備選定に先立ち、どちらの道を選ぶのかを政府が明らかにする必要があります。
核不拡散条約とIAEA保障措置の難題
核兵器不拡散条約、いわゆるNPTは、非核兵器国による核兵器の製造や取得を禁じていますが、原子力推進そのものは禁止していません。原潜の核燃料を核爆発以外の軍事活動に利用する場合、包括的保障措置協定の特別な手続きが問題となります。
先例となるのがAUKUSを通じて原潜導入を進めるオーストラリアです。IAEAは同国との間で、包括的保障措置協定第14条に基づく取り決めを協議しています。事前通告、核物質の報告・検証、軍事機密の保護、通常の保障措置に戻す時点など、解決すべき項目は多岐にわたります。
日本が原潜を導入する場合も、原子炉と燃料を国内開発するのか、同盟国から取得するのかで制度設計が変わります。高濃縮ウランか低濃縮ウランか、燃料交換を国内で行うのか、密封された原子炉区画ごと導入するのかによって、不拡散上のリスクと運用の自由度は異なります。
日本は原子力発電国として早期にIAEA追加議定書を締結し、核不拡散体制の強化を外交政策に掲げてきました。軍事機密を理由に核物質の透明性を下げれば、他国の海軍用原子力計画を批判する立場も弱くなります。法的に可能かどうかに加え、日本外交の信用コストまで計算しなければなりません。
一隻購入では終わらない国家事業の費用
2026年度概算要求では、通常動力型の「たいげい」型潜水艦1隻の建造費として1,199億円が計上されました。原潜は船体が大型化し、原子炉、放射線遮蔽、専用岸壁、整備施設、訓練設備、核物質防護、廃棄物管理が加わります。艦本体の価格だけを比べても、財政負担の全体像は見えません。
AUKUSを進めるオーストラリアは、最初のバージニア級原潜を2030年代初めに取得し、国内建造艦を2040年代初めに完成させる計画です。同国政府は原潜能力の取得に今後10年間で530億~630億豪ドルを投じ、30年間で軍・行政・産業を合わせ約2万人の直接雇用を生むとしています。
これは原潜が「数隻の高性能艦を買う計画」ではなく、数十年をかけて産業と人材を形成する計画であることを示します。最盛期には建造だけで4,000~5,500人規模の人材が必要とされ、原子炉技術者、溶接工、放射線管理要員、乗員、規制当局、事故対応要員を同時に育成しなければなりません。
海外調達にも制約があります。米会計検査院によると、米国のバージニア級建造は2025年6月時点で年1隻のペースにとどまり、年2隻という目標の半分でした。2025年に引き渡された2隻も、ともに予定より3年以上遅れています。日本が購入を希望しても、米海軍向けと豪州向けで余力が限られる以上、完成艦をすぐ取得できるとは限りません。
国内開発なら技術基盤の強化につながる一方、研究費と初期投資が膨らみます。海外方式を採れば開発リスクを抑えられても、燃料、部品、認証、機密情報を供給国に依存します。安全保障上の自立性と調達コストは、単純な国産・輸入の二者択一では測れません。
日本近海の任務と通常動力型の競争力
小泉防衛相は原潜の利点として、長時間の潜航、無補給での長期行動、速い水中速力を挙げました。一方、通常動力型より静粛性が劣るとされること、原子力機関が高額であること、特殊な維持整備技術が必要になることも認めています。
原潜の価値が大きいのは、広い外洋を高速で移動し、遠方海域に長期間とどまる任務です。南シナ海や西太平洋の遠方で継続的な監視・追尾を行うなら、水中持続力と展開速度は重要な優位になります。長射程ミサイルを多数搭載する大型艦との相性も良好です。
しかし、日本周辺の海峡や沿岸部で待ち伏せし、接近する艦艇を静かに監視する任務では、通常動力型の低雑音性が有利になる場合があります。原潜は万能の上位互換ではなく、任務と海域によって優劣が変わる装備です。
現行の防衛力整備計画は潜水艦22隻体制を掲げています。原潜を追加するのか、通常動力艦の一部を置き換えるのかによって、乗員数、稼働艦数、建造ペース、警戒監視の密度は大きく変わります。募集環境が厳しい中では、艦の性能だけでなく、限られた乗員で何隻を継続運用できるかが実戦能力を決めます。
防衛省はすでに潜水艦用の垂直発射装置を研究しており、2025年度予算では297億円を計上しました。VLS搭載と原子力推進は別の選択です。大型通常動力艦、次世代電池、燃料電池、無人潜水機との組み合わせも含め、同じ任務をより低い費用と制度負担で達成できないかを比較する必要があります。
年内決着を急ぐことで深まる三つの政策リスク
第1のリスクは、必要な任務を定義する前に推進方式を決めることです。「周辺国も保有している」「速く長く潜れる」という説明だけでは、日本がどの海域で何を抑止し、どの戦力を代替するのかが分かりません。任務が曖昧なままでは、原潜は実用装備ではなく国威を示す高価な象徴になりかねません。
第2は、安保3文書への記載が研究開始から導入決定へ自動的に進む経路をつくることです。原子炉研究や基地整備に巨額の先行費用を投じれば、途中で費用対効果が悪化しても撤退しにくくなります。「研究」「選択肢の検討」「導入方針」を明確に区別する工程管理が必要です。
第3は、安全規制と財政負担が後回しになることです。事故時の責任主体、母港自治体との協定、廃炉費用、核燃料管理、退役後の原子炉区画保管まで決めなければ、総事業費は計算できません。原潜への支出が弾薬、無人装備、対潜哨戒機、隊員処遇などを圧迫する機会費用も示すべきです。
年内改定で可能なのは、保有の即断より、比較調査の設計を明記することです。数十年続く事業を数カ月の政治日程で決めれば、AUKUS参加国以上に重い法制度と社会的合意の問題を積み残すことになります。
保有判断前に政府が示すべき五つの条件
原潜保有を現実的な政策として論じるには、政府が少なくとも次の五つを公開する必要があります。
- 原潜でなければ遂行できない具体的な任務と想定海域
- 通常動力艦、次世代電池、無人潜水機を含む代替案との比較
- 研究、建造、基地、運用、廃炉を含む総保有費用と人員計画
- 原子力基本法、IAEA保障措置、供給国との協定に関する法的整理
- 独立した安全規制、事故対応、地元合意、放射性廃棄物処分の工程
1958年以来の検討が決断に至らなかったのは、技術が存在しなかったからだけではありません。任務、法律、費用、国民理解を一体で示す政治的枠組みがなかったためです。祖父の否定と孫の選択肢論の距離を埋めるものは、世代交代ではなく、この五条件への回答です。
読者が年末の安保3文書で確認すべきなのは「原潜」という一語の有無だけではありません。「調査研究」「導入検討」「保有方針」のどこまで踏み込むのか、代替案と総費用を公開する仕組みが盛り込まれるのかが、68年目の議論を再び先送りにするか、国家的決断へ変えるかの分岐点となります。
参考資料:
- 防衛大臣記者会見・2026年10月9日
- 日本の原子力潜水艦検討に関する情報整理
- 原子力船開発のための研究題目とその方法に関する報告書
- 第48回国会衆議院本会議第20号
- 第48回国会衆議院科学技術振興対策特別委員会第15号
- 参議院調査室「防衛行政の主な課題」
- 令和8年版防衛白書・国家安全保障戦略
- 防衛力整備計画・別表3
- 令和8年度概算要求・主な事業
- 令和7年度予算・主な事業
- 日本原子力研究開発機構「原子力で動く船」
- Australia National Defence Strategy and Integrated Investment Program
- AUKUS Submarine Workforce and Industry Strategy
- IAEA Report on Naval Nuclear Propulsion in Australia
- GAO Navy and Coast Guard Shipbuilding Report
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