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日本の対中分析力が危機的状況にある理由と課題

by 松本 浩司
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中国統計縮小で揺らぐ日本の対中分析

日本にとって最大の貿易相手国である中国をどう分析し、どう向き合うかは、経済・安全保障の両面で極めて重要なテーマです。しかし、その分析の土台となるデータや研究体制が、今まさに危機的な状況にあることをご存知でしょうか。

中国国内では経済統計の公開が次々と縮小され、研究者が現地で情報収集する際のリスクも高まっています。東京大学社会科学研究所の伊藤亜聖准教授らが2025年に実施した「日本版中国研究者調査」では、研究者の約3割が自身の研究テーマ選定に萎縮効果を感じていると回答しました。

本記事では、日本の対中分析力がなぜ不足しているのか、その構造的な要因と打開策について、最新の調査データをもとに解説します。

消えゆく中国の公開データ

統計公表の相次ぐ停止

中国当局は近年、研究者や投資家が利用してきた数百件のデータの公表を相次いで停止しています。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は2025年5月、「中国経済がどれほど悪化しているか答えるために必要なデータが消失している」と報じました。

具体的には、土地使用権の販売指標、外国投資データ、一部の失業統計などがここ数年で公表されなくなりました。さらに驚くべきことに、火葬件数や企業信頼感指数、しょうゆの生産報告といった一見政治とは無関係に見えるデータまでもが打ち切られています。

GDP統計の信頼性論争

中国のGDP統計の正確性をめぐる議論も続いています。独立系調査会社ロジウム・グループは2024年末のリポートで、2023年の公式GDP成長率5.2%に対して独自推計は1.5%とし、公式値が2.2〜3.7ポイント過大評価されていると指摘しました。

一方、米連邦準備制度理事会(FRB)は2025年6月に公表した論考で、独自のGDP推計が2024年の公式値とほぼ一致したと報告しています。専門家の間でも見解が大きく割れており、正確な実態把握がいかに困難であるかを物語っています。

このように、公式統計の信頼性が揺らぐなかで代替データの重要性が増しているにもかかわらず、日本にはそれを体系的に収集・分析する体制が十分に整っていないのが現状です。

研究者が直面する「萎縮効果」

日本版中国研究者調査の衝撃的な結果

伊藤亜聖准教授らが2025年3月に実施した「日本における中国研究者の経験調査」は、362名の研究者から回答を得た大規模な調査です。その結果は、日本の中国研究が置かれている厳しい環境を浮き彫りにしました。

回答者の11.3%が、中国当局者から「実施している研究が敏感だ」と直接指摘された経験があると答えています。27.1%が研究上で何らかの困難に直面し、21.8%が中国での研究発表時に検閲を受けた経験があると回答しました。

研究テーマの自己規制

特に深刻なのは、32%の回答者が中国本土での研究者拘束事案の影響で自身の研究テーマ選定に影響が出ていると認識している点です。さらに、大学院生を指導する回答者のうち43.2%が、指導の際にテーマのセンシティブさを考慮して再検討を促した経験があると答えています。

つまり、次世代の中国研究者が育つ段階から、研究テーマに制約がかかっている構造的な問題が存在するのです。

反スパイ法の影響拡大

2023年7月に施行された中国の改正反スパイ法は、この萎縮効果をさらに強めています。改正法ではスパイ行為の定義が大幅に拡大され、条文数も従来の40条から71条へと大幅に増加しました。

問題は、規制内容が抽象的で曖昧なことです。どのような活動がスパイ行為にあたるかの予測可能性が担保されず、中国の国家安全当局が恣意的に解釈して執行する懸念があります。この不透明さが、研究者の渡航や現地調査への心理的障壁を高めています。

米国との圧倒的な分析力の差

シンクタンクの規模格差

米国には、戦略国際問題研究所(CSIS)、ランド研究所(RAND)、ブルッキングス研究所など、中国分析を専門的に行う大規模シンクタンクが複数存在します。CSISだけでもフルタイム常勤職員が220名を超え、防衛・国家安全保障分野で世界第1位の評価を受けています。

これに対し、日本の外交・安全保障系シンクタンクは規模・予算の両面で大きく劣っています。外務省が2012年に公表した報告書「日本における外交・安全保障関係シンクタンクのあり方について」では、米国やドイツのシンクタンクと比較した日本の脆弱性がすでに指摘されていましたが、抜本的な改善には至っていません。

データ収集体制の違い

米国では、AidDataプロジェクトが1万3,000件以上の中国の開発プロジェクトからなるグローバルデータセットを公開するなど、中国の対外活動を体系的にデータベース化する取り組みが進んでいます。アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)の「中国グローバル投資トラッカー」も重要なデータ源として広く活用されています。

日本でも経済産業研究所(RIETI)や日本国際問題研究所(JIIA)が中国関連の研究を行っていますが、独自の大規模データベースを構築・公開するという点では、米国の取り組みに大きく後れを取っているのが実情です。

データ3法がもたらす新たな壁

中国のデータ規制と日本企業への影響

中国が施行した「データ3法」(個人情報保護法、サイバーセキュリティ法、データセキュリティ法)は、研究者だけでなく日本企業の情報収集にも大きな影響を与えています。

中国子会社が持つ従業員や顧客のデータを日本本社が閲覧する場合にも、事前に中国当局への届け出が必要となりました。これにより、企業が中国市場の実態を把握するためのデータ取得自体にコストとリスクが伴うようになっています。

対応の遅れ

多くの日本企業がデータ関連法規制への対応を保留・静観していますが、すでに違反を指摘され制裁を受けた事例も発生しています。企業レベルでの中国分析が制約されることは、日本全体の対中情報基盤を弱体化させる要因にもなりかねません。

OSINTと官民基盤で進める対中分析再建

経済安全保障の文脈での体制強化

日本政府は経済安全保障推進法や重要経済安保情報保護活用法の整備を進めており、対中分析の重要性に対する認識は高まっています。内閣府の経済安全保障担当部署を中心に、量子コンピューティングやAIなどの先端技術分野での情報収集・分析体制の強化が図られています。

しかし、こうした政府の取り組みだけでは十分とは言えません。研究者が安心して中国研究に取り組める環境の整備、シンクタンクへの予算拡充、そして独自のデータ収集・分析基盤の構築を、官民一体で進めていく必要があります。

求められる多角的アプローチ

中国の公式データへのアクセスが制限されるなか、衛星画像やSNSデータ、特許情報、貿易統計など、オープンソースインテリジェンス(OSINT)を活用した多角的な分析手法の確立が急務です。伊藤亜聖准教授らが進める量的テキスト分析(習近平重要講話データベースの活用など)のような、新しい研究手法の開発と普及も重要な方向性です。

また、豪州のASPI(オーストラリア戦略政策研究所)サイバー政策センターのように、特定分野に特化した中国研究の拠点を日本にも設けることが検討に値します。

データ統制と萎縮効果が招く対中分析危機

日本の対中分析力の不足は、単にデータが足りないという技術的な問題ではありません。中国側のデータ統制強化、研究者への萎縮効果、シンクタンクの規模格差、そしてデータ規制の壁という複合的な構造問題です。

中国が日本の最大の貿易相手国であり、安全保障上の最重要関心国でもある以上、対中分析力の強化は日本にとって喫緊の課題です。研究者が萎縮せずに研究を続けられる環境づくり、独自のデータ基盤構築への投資、そしてOSINTなど新たな分析手法の活用を、社会全体で推進していくことが求められます。

参考資料:

松
松本 浩司

マクロ経済・国際経済

国際経済の潮流を、通商政策・為替・新興国の動向から多角的に分析。グローバル経済の「次の震源地」を見極める。

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