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予備校講師から大学教員へ:教育実績が研究業績になる時代

by 小林 美咲
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はじめに

企業研究者が論文業績を武器に大学教員へ転身する「研究者モデル」が注目を集める一方で、まったく異なるキャリアパスからアカデミアの門を叩く人々がいます。予備校での長年にわたる指導経験や、受験参考書の執筆実績が「研究業績」として認められ、大学教員のポストを得るケースが出てきているのです。

河合塾で累計2万人の学生を指導し、複数の著書を持つ人物の事例は、従来の「大学教員=研究者」という固定観念を大きく揺さぶるものです。本記事では、こうした教育現場の実務経験が学術業績として評価される背景と、実務家教員制度の現在地を解説します。

実務家教員制度とは何か

文部科学省が推進する教員の多様化

実務家教員とは、専攻分野においておおむね5年以上の実務経験を有し、かつ高度の実務能力を持つ大学教員のことです。文部科学省は1990年代から、実学分野において十分な社会経験を持つ人材を大学教員として登用することを推進してきました。

2022年の大学設置基準改正では「基幹教員」の概念が導入され、実務家教員がより柔軟に大学で教育に携われる環境が整備されました。この改正により、実務家教員が本業を続けながら大学で教えることも容易になっています。さらに教員養成学部では、基幹教員数のおおむね2割以上を実務経験者とする基準も設けられました。

教育研究業績書における評価基準の変化

大学教員の採用で最も重視されるのが「教育研究業績書」です。従来は査読付き学術論文の本数が決定的な意味を持っていましたが、実務家教員の評価においては基準が異なります。

実務家教員の場合、学会での研究発表記録や実践報告に加え、著書や教科書の出版実績も業績として評価されます。つまり、予備校講師が執筆した受験参考書や教育関連の書籍も、教育上の能力を示す業績として認められる可能性があるのです。教育方法の実践例や、独自に開発した教材なども業績書に記載可能で、「教科書として使用している著書」は研究業績との重複記載も認められています。

予備校での2万人指導が持つ意味

教育の「現場知」と学術的価値

河合塾は生徒数約11万人、教員数約2,100人を擁する日本有数の教育グループです。全統模試の年間延べ受験者数は約270万人にのぼり、大学受験教育において圧倒的な存在感を持っています。

このような大規模教育機関で累計2万人の学生を指導するということは、膨大な教育実践データの蓄積を意味します。どのような説明が学生の理解を促進するか、どの段階でつまずきやすいか、効果的な動機づけの方法は何か。こうした「現場知」は、教育学や学習科学の研究にとって極めて価値のある知見です。

著書が「研究業績」として認められる背景

予備校講師が執筆する参考書や学習書は、単なる受験テクニック集ではありません。教科の本質的な理解を促す体系的な教材であり、その執筆には深い専門知識と教育方法論が求められます。河合塾の講師の中には、ベストセラーとなる参考書を複数出版し、その教育メソッドが広く認知されている人物も少なくありません。

こうした著書は、従来の学術出版とは異なる形式ではあるものの、専門分野における知見を体系化し、広く社会に発信しているという点で、研究業績に準ずる価値を持つと評価されるようになっています。特に教育学系の学部や、実践的な教育能力を重視する大学では、こうした実績が高く評価される傾向にあります。

「研究者モデル」との対比で見るキャリアパス

企業研究者型と教育実践者型

社会人から大学教員へ転身するルートは、大きく2つに分かれます。1つはNTTドコモで約20年間研究を続け、通算46本の論文を積み上げて上智大学大学院の准教授に就任した深澤佑介氏のような「研究者モデル」です。企業に在籍しながら学術論文を発表し続け、博士号も取得するという王道のアプローチといえます。

もう1つが、今回のような「教育実践者モデル」です。教壇に立ち続けた経験と、教育現場で培った知見を著書として体系化し、その教育実績と著作物を業績として大学教員のポストを得るパターンです。論文数では研究者モデルに及ばなくとも、教育実践の質と量、そして社会的インパクトで勝負するアプローチといえます。

大学が求める人材像の変化

この2つのモデルが並立する背景には、大学側の人材ニーズの変化があります。少子化による「2026年問題」を前に、多くの大学が学生の確保と教育の質向上を同時に迫られています。研究能力だけでなく、学生を惹きつけ、実践的な教育を提供できる教員の需要が高まっているのです。

社会構想大学院大学が2018年に開設した実務家教員養成課程には、毎年100人以上が参加しており、企業人の大学教員への関心の高さがうかがえます。この課程では「実践能力」「研究能力」「教育指導能力」の3つを柱にカリキュラムが組まれ、実務経験を学術的に再構成するスキルを身につけることができます。

注意点・展望

実務家教員の課題

実務家教員制度は可能性に満ちている一方で、課題もあります。まず、実務経験が豊富であっても、それだけで大学教員になれるわけではありません。実践で蓄積した知見を学術的な視点から再整理し、体系的に教授できる能力が求められます。

また、大学の世界は企業以上にシビアな業績主義の側面があるとされています。実務家教員として採用された後も、学会発表や論文執筆など、継続的な研究活動が期待されるケースがほとんどです。教育現場の経験だけに安住することはできません。

今後の展望

文部科学省の制度改正や社会的な需要を背景に、実務家教員の登用は今後も拡大していく見通しです。特に教員養成系学部での実務家教員の配置義務化や、専門職大学の増加は、この流れを加速させるでしょう。

予備校講師のような教育のプロフェッショナルが大学教員に転身する事例は、日本の高等教育に新しい風を吹き込む可能性を秘めています。「研究か教育か」という二項対立ではなく、多様なバックグラウンドを持つ教員が共存する大学の姿が、今後のスタンダードになるかもしれません。

まとめ

河合塾での2万人指導経験と著書が研究業績として認められた事例は、大学教員の採用基準が変わりつつあることを象徴しています。実務家教員制度の整備、大学設置基準の改正、そして大学側の人材ニーズの変化が重なり、従来の「研究者モデル」以外のキャリアパスが確立されつつあります。

教育実践の現場で培われた知見には、学術論文とは異なる形の価値があります。重要なのは、自身の経験をどのように体系化し、学術の文脈に位置づけられるかという視点です。大学教員を目指す社会人にとって、自身のキャリアを「業績」として捉え直す発想が、新たな可能性を切り開く鍵となるでしょう。

参考資料:

小林 美咲

キャリア・教育

キャリア形成・教育改革・リスキリングなど、人と学びの接点を取材。変化する時代に求められる「働く力」を問い続ける。

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