過去最大赤字の電通がW杯放映権を死守した理由
はじめに
2026年6月11日に開幕する「FIFAワールドカップ2026」。カナダ、メキシコ、アメリカの3カ国で開催される今大会は、出場枠が48カ国に拡大され、全104試合が行われる史上最大規模の大会です。
その国内放映権を獲得したのが、2025年12月期に過去最大となる3,276億円の最終赤字を計上した電通グループでした。推定約350億円とされる放映権料は、前回カタール大会の200億円強から大幅に上昇しています。巨額赤字のさなかに、なぜ電通はこの権利を死守したのか。その背景を探ります。
電通グループの過去最大赤字
海外事業の減損が直撃
電通グループの2025年12月期連結決算は、最終損益が3,276億円の赤字となりました。売上高は前期比1.7%増の1兆4,352億円と微増だったものの、海外事業で3,101億円もの減損損失を計上したことが巨額赤字の主因です。
海外事業では、買収した企業との統合プロセス(PMI)が想定通りに進まず、膨らんだのれんに対する減損を余儀なくされました。営業損益も2,892億円の赤字に沈み、2001年の上場以来初の無配に転落しています。
経営体制の刷新
この事態を受けて、五十嵐博社長は退任し、中核子会社の電通から佐野傑社長が後任に就任しました。最大2,000億円規模の資本増強策も発表されるなど、電通グループは経営の立て直しを急いでいます。
W杯放映権獲得の舞台裏
博報堂との交渉破談
2026年W杯の国内放映権をめぐっては、当初FIFAが博報堂DYホールディングスと独占交渉を進めていました。しかし、交渉は難航。放映権料の高騰が背景にあるとみられ、最終的に交渉相手が電通に変更されるという異例の展開となりました。
2025年12月、電通は土壇場でW杯の国内放送権(放送・配信を含む総合的なメディアライツ)を取得したと発表しました。博報堂との交渉が不成立に終わっていれば、日本のファンがW杯を視聴できないという危機的状況に陥るところでした。
「電通案件」がお茶の間を救った構図
皮肉なことに、東京五輪の不正事件で批判を浴びた「電通案件」が、今回は日本の視聴者を救うかたちとなりました。五輪やW杯クラスの国際大会を仕切れる広告代理店は世界でも電通だけとも言われ、スポンサーとの交渉から放映権管理まで一手に担えるその能力が、今回も発揮されたのです。
W杯放映権料の高騰史
8,000万円から350億円への軌跡
日本でW杯が初めて放送された1970年メキシコ大会の放送権料は、わずか8,000万円でした。その後、NHKが単独で放送していた1998年フランス大会までは6億円にとどまっています。
転機は2002年の日韓大会です。NHKと民放が共同制作機構(JC)を結成し、電通を通じてFIFAから放送権を一括購入する形式が始まりました。この仕組みにより、放送権料は60億円と前大会の10倍に跳ね上がります。
以降の推移は急激です。2006年ドイツ大会が140億円、2010年南アフリカ大会が170億円、2014年ブラジル大会は400億円と高騰を続け、2018年ロシア大会では約600億円に達したとされています。2026年大会の約350億円は、前回カタール大会(200億円強)からは上昇したものの、ロシア大会と比べると抑制された水準ともいえます。
FIFAの収益構造と放映権の位置づけ
放映権料が高騰する背景には、FIFAの収益構造があります。FIFAの収入の約62%は放映権料で占められており、放映権料とスポンサー収入を合わせると全収入の約80%に達します。FIFAにとってW杯は最大の「商品」であり、放映権料の最大化は組織存続にかかわる戦略的な課題なのです。
放送体制と収益の課題
地上波・BS・配信の三層構造
2026年大会の国内放送体制は、地上波・BS・配信の三層構造で組まれています。NHKが日本代表戦を全試合生中継し、地上波ではグループステージ2試合を放送。日本テレビも地上波で1試合を担当します。地上波全体では開幕戦や決勝を含む33試合が中継される予定です。
一方、DAZN(ダゾーン)が全104試合を生配信することで、コアなサッカーファンのニーズにも対応します。前回カタール大会でABEMAが全試合無料配信を行い大きな注目を集めましたが、今大会では有料配信のDAZNが全試合を担う形です。
収益回収の険しい道
約350億円の放映権料を回収するビジネスモデルは、テレビ局への再販売とスポンサー収入が柱となります。しかし、テレビ局側も広告収入の先行きが不透明な中で高額の放映権料負担には慎重であり、電通や民放の業績に重荷となる可能性が指摘されています。
さらに、今大会は北中米での開催となるため、日本時間では深夜から午前中の時間帯に試合が集中します。視聴率への影響は避けられず、スポンサー収入の確保にも影響する可能性があります。
注意点・展望
電通がW杯放映権を死守した判断は、短期的な収益だけでは測れない戦略的意味を持っています。国際スポーツイベントの放映権を扱える日本唯一の存在として、その地位を維持することは、海外事業の立て直しを図る電通にとって国内事業の基盤を守ることでもあります。
ただし、放映権料の高騰は持続可能なのかという根本的な問いは残ります。テレビ視聴率の低下、広告市場のデジタルシフト、配信プラットフォームの台頭といった構造変化の中で、従来型の「電通がFIFAから一括購入し、テレビ局に再販売する」モデルがいつまで通用するかは不透明です。
2030年大会以降の放映権獲得に向けて、電通が新たなビジネスモデルを構築できるかが、日本のスポーツ放送の将来を左右する重要なポイントとなるでしょう。
まとめ
過去最大の3,276億円の赤字を抱える電通グループが、推定350億円でW杯2026の国内放映権を取得しました。博報堂との交渉破談を受けて土壇場で獲得した今回の判断は、日本の視聴者にW杯中継を届けるという社会的責任と、国際スポーツビジネスにおける存在感維持という戦略的判断の両面があります。
放映権料は1970年の8,000万円から半世紀で数百倍に膨れ上がっており、この高騰が持続可能かどうかは、スポーツビジネス全体の構造的な課題です。北中米開催による時差の影響も含め、投資回収の道のりは険しいものになりそうです。
参考資料:
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