戦争は本当に増えたのか?データで読む紛争の実態
ベネズエラ攻撃で強まる戦争増加感
2026年1月、米軍がベネズエラを攻撃しマドゥロ大統領を拘束するという衝撃的な事態が発生しました。ウクライナ紛争やガザ情勢に加え、こうしたニュースに接する機会が増えたことで、「ここ数年、世界で戦争が増えている」と感じる方も多いのではないでしょうか。
しかし、その感覚は本当に正しいのでしょうか。ウプサラ大学の紛争データプログラム(UCDP)をはじめとする統計データを読み解くと、私たちの認識と実態には大きなギャップがあることが見えてきます。
本記事では、紛争に関する客観的データと、なぜ私たちが「戦争が増えた」と錯覚するのかについて、認知バイアスの観点から解説します。
紛争データが示す「本当の傾向」
長期的には暴力は減少してきた
ハーバード大学の認知心理学者スティーブン・ピンカーは、著書『暴力の人類史』のなかで膨大な統計データを用いて、人類の暴力は長い歴史のなかで減少傾向にあると論じています。数千年、数百年、数十年というどの時間尺度で見ても、戦争から体罰に至るまでさまざまな形態の暴力が減っているというのがピンカーの主張です。
実際、第二次世界大戦後の国家間戦争による死者数は、人口比で見ると大幅に減少しています。ピンカーはこの現象を「長い平和」と呼び、核抑止力や国際機関の発展、民主主義の拡大などが要因だと分析しています。
近年は紛争件数が増加に転じている
一方で、近年のデータは別の側面を示しています。UCDPによれば、2023年に世界で発生した国家規模の紛争は59件に達し、1946年の統計開始以来、過去最多を記録しました。1946年から2012年までの年間平均紛争数は36.48件であり、近年の数字はそれを大きく上回っています。
さらに、年間1万人以上の死者を出す大規模紛争が2023年には4件あり、1,000人から9,999人規模の「高強度紛争」も2022年の17件から2023年の20件へと増加しました。紛争関連の推定死亡者数も2022年の約15万3,100人から2023年の約17万700人に増え、2019年以来の最高水準です。
「増えた」と「増えていない」の両面がある
つまり、数十年や数百年という長期スパンで見れば暴力は確かに減少傾向にあります。しかし、2010年代後半から2020年代にかけての短期的な傾向では、紛争の件数も死者数も増加しているのが事実です。
冷戦終結後に一度減少した紛争件数は、シリア内戦が本格化した2011年頃から再び上昇に転じ、ウクライナ紛争やガザ情勢がそれに拍車をかけました。「戦争が増えた」という認識は、短期的には統計的根拠があるといえます。
なぜ「錯覚」が生まれるのか
メディア報道と可用性ヒューリスティック
「戦争が増えた」という感覚が実態以上に強まる背景には、認知バイアスの一種である「可用性ヒューリスティック」があります。これは、思い出しやすい情報ほど頻度が高いと判断してしまう心理傾向です。
ウクライナ侵攻やガザ紛争は、SNSやテレビで連日報道されています。戦場の映像がリアルタイムで世界中に配信される現代では、紛争の「可視性」が劇的に高まりました。1990年代のルワンダ虐殺や2000年代のコンゴ紛争では、これほどの報道量はありませんでした。
つまり、紛争そのものが増えた以上に「紛争が目に入る機会」が増えたことが、私たちの認識を歪めている可能性があります。
ネガティビティ・バイアスの影響
人間には、ポジティブな情報よりもネガティブな情報に強く反応する「ネガティビティ・バイアス」が備わっています。メディアもこの傾向を理解しており、戦争や紛争、テロといったニュースは大きく取り上げられます。
一方で、紛争が終結したことや平和構築が進んでいることはほとんどニュースになりません。コロンビアの和平合意やエチオピア・ティグレ紛争の停戦など、紛争が収束に向かった事例は多数ありますが、それらが大々的に報じられることは少ないのです。
日本特有の安全保障意識の変化
日本では、2022年以降の防衛費増額や反撃能力の保有に関する議論など、安全保障に関する話題がかつてないほど活発化しています。台湾有事の可能性や北朝鮮のミサイル問題も含め、「戦争」というテーマが身近に感じられるようになったことも、日本人が「戦争が増えた」と感じやすくなっている要因の一つです。
冷戦期には「遠い世界の出来事」だった紛争が、地政学的な変動によって日本にとって現実味を帯びてきたことで、認識がより敏感になっているといえます。
UCDP定義と科学的分析の重要性
データの読み方に注意が必要
紛争の統計には定義の問題がつきまといます。UCDPでは年間25人以上の戦闘関連死がある事象を「紛争」と定義しますが、この基準を変えれば件数は大きく変わります。また、非国家主体間の暴力やテロを含めるかどうかでも数字は異なります。
「紛争が増えた」「減った」という議論は、どの統計をどの期間で見るかによって結論が変わるため、一面的な判断は避けるべきです。
科学的な分析の必要性
軍事アナリストの小川和久氏が指摘するように、安全保障の問題は評論や感情論ではなく、科学的な分析に基づいて議論する必要があります。SNSで拡散される断片的な戦争映像だけで世界の安全保障環境を判断するのは危険です。
今後も紛争の動向は予断を許しませんが、冷静にデータを読み解く姿勢がますます重要になっていきます。
UCDPとSIPRIで見る安全保障認識
「ここ数年、戦争が増えた」という感覚には、短期的な統計データの裏付けがある一方で、メディア環境の変化や認知バイアスによって実態以上に増幅されている側面もあります。長期的に見れば暴力は減少傾向にありますが、近年の紛争件数は第二次世界大戦後最多を記録しており、楽観は禁物です。
大切なのは、感覚や印象だけで判断するのではなく、UCDPやSIPRIといった信頼性の高いデータベースを参照し、客観的な事実に基づいて世界の安全保障環境を把握することです。私たち一人ひとりがメディアリテラシーを高め、冷静な視点を持つことが求められています。
参考資料:
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