円安160円接近で浮かぶ原油代替調達と貿易赤字の構造転換の兆し
160円台の円安を招く貿易赤字の変質
円相場が再び1ドル160円前後を意識する局面に入りました。単なる金利差だけでなく、日本の貿易収支そのものが円売り材料になりやすい形へ変わりつつある点が重要です。
財務省の7月貿易統計では、輸出も輸入も過去最高水準に膨らみました。しかし、より大きく伸びたのは輸入です。原油価格、調達先、為替レートが同時に輸入額を押し上げ、貿易赤字が円安を説明する材料として再浮上しています。
本稿では、7月統計の数字、ホルムズ海峡をめぐる供給制約、米国産原油などへの代替調達をつなげて、今回の円安が一過性の相場変動にとどまるのか、構造的な変化の始まりなのかを読み解きます。
7月貿易統計に表れた輸入主導の赤字圧力
輸出増でも埋まらない輸入増
財務省が8月20日に発表した2026年7月分の貿易統計速報によると、輸出額は前年同月比23.2%増の11兆5118億円でした。輸入額は27.8%増の12兆1463億円となり、差し引きの貿易収支は6345億円の赤字です。赤字は3カ月連続で、赤字幅は前年同月から大きく拡大しました。
一見すると、輸出も力強く伸びています。自動車、半導体等電子部品、半導体等製造装置が輸出の増加品目として並び、世界的な設備投資や電子部品需要の恩恵も確認できます。それでも赤字が拡大したのは、輸入側の伸びが輸出を上回ったためです。
輸入の増加品目では、原粗油が前年同月比87.8%増、半導体等電子部品が79.7%増、非鉄金属が67.7%増でした。寄与度でも原粗油が大きく、エネルギー価格と調達量の変化が全体の輸入額を押し上げています。つまり、輸出企業が円安で得る追い風よりも、エネルギーを買うための外貨需要と円建てコストの増加が表に出た月だったといえます。
地域別に見ると、対米国では輸出が22.0%増、輸入が58.0%増となり、対米黒字は2804億円まで縮小しました。米国向け輸出が強い一方で、米国からの輸入も急増しています。これは、原油などの調達先多角化が貿易統計に反映され始めたことを示す重要な変化です。
円建て輸入額を押し上げた為替水準
7月の税関長公示レートの平均値は1ドル161.83円でした。前年同月の145.56円から11.2%の円安で、同じドル建て価格の原油を輸入しても、円で支払う金額は大きくなります。
この点が、今回の赤字を読み解くうえで欠かせません。原油価格が上がるだけなら、需要抑制や在庫放出で輸入数量が一時的に落ち、輸入額の伸びを抑える場合があります。しかし、供給不安を受けて代替調達を進め、数量を確保しようとすれば、価格上昇と円安の両方が輸入額に乗ります。
季節調整済みでも、7月の貿易収支は6860億円の赤字でした。単月の特殊要因だけでなく、基調として輸入圧力が残っていることを示します。輸出が過去最高圏にあっても赤字が残るなら、為替市場は「円安で輸出が伸びる」という古い反応だけでは評価しにくくなります。
円安は輸出企業の円換算収益を押し上げますが、同時に原油、LNG、食料、非鉄金属などの輸入コストを増やします。家計や中小企業にとっては、円安メリットよりも価格転嫁の負担が先に見えます。貿易赤字の拡大は、そうした負担が国全体の外貨需給にも及んでいるサインです。
原油代替調達が変えた赤字の発生経路
中東依存の弱点を突いたホルムズ混乱
日本の原油調達は、長く中東に大きく依存してきました。国際エネルギー機関(IEA)によると、ホルムズ海峡は2025年に日量約2000万バレルの原油・石油製品が通過した世界有数のチョークポイントです。世界の海上石油貿易の約25%が通過し、その多くがアジア向けです。
IEAの資料では、ホルムズ海峡を通る原油輸出の主な行き先として中国、インド、日本が挙げられています。EIAも、2024年のホルムズ通過原油・コンデンセートの84%がアジア市場向けで、中国、インド、日本、韓国が合計で全体の69%を占めたと分析しています。
この構造では、ホルムズ海峡の航行リスクが高まると、日本は価格上昇だけでなく、物理的な調達制約にも直面します。中東産原油を単純に別ルートへ回せばよいわけではありません。IEAは、サウジアラビアとUAEには迂回パイプラインがあるものの、利用可能な代替能力は日量350万〜550万バレル程度としています。ホルムズを通る量全体を置き換えるには足りません。
JETROがまとめた7月の対中東貿易を見ると、中東からの輸入額は前年同月比11.9%増の9948億円、対中東の貿易赤字は6438億円でした。これは日本全体の7月貿易赤字6345億円とほぼ同じ規模です。中東からの輸入は6月の7372億円から大きく増え、エネルギー調達の回復がそのまま赤字拡大につながった形です。
国別では、クウェートやカタールからの輸入が減る一方、代替ルートを持つサウジアラビアからの輸入は57.3%増えました。ここから見えるのは、単純な「中東離れ」ではありません。ホルムズ海峡を避けられる供給元、中東外の供給元、備蓄の活用を組み合わせる再配分が進んでいるということです。
米国産シフトに伴う価格と物流の負担
代替調達先として存在感を増しているのが米国産原油です。米商務省系のTrade.govは、2026年1〜5月の米国から日本向け原油出荷が約1890万バレル、約300万キロリットルに達し、2023年同期の約3倍になったと説明しています。2月には約530万バレルと過去最高の月間出荷も記録しました。
米国産原油には、供給国リスクを分散できる利点があります。アラスカ産なら日本までの輸送日数が短く、中東産より到着が早いとされます。WTI Midlandのような軽質低硫黄原油は、ガソリンや軽油など高付加価値製品を取りやすい面もあります。エネルギー安全保障の観点では、調達先の多角化は合理的な対応です。
ただし、マクロ経済の視点では、代替調達は必ずしも安い調達を意味しません。ホルムズ海峡の混乱で中東産の物流が不安定になると、海上保険料、用船料、品質調整、製油所の運転条件がコストに反映されます。S&P Globalは、戦争前に日量約2000万バレルの原油・石油製品が同海峡を通過していたとし、紛争後は保険コストと安全リスクで商業運航が難しくなった局面を指摘しています。
IEAの8月石油市場報告も、7月の原油価格が地政学ニュースに左右され、非常に大きな値幅で推移したと分析しています。北海Datedは7月末に1バレル96.80ドルとなり、8月時点でも高水準で推移しました。EIAの短期見通しも、ホルムズ海峡の制約が8月まで続くとの前提で、2026年7〜9月期のブレント価格を平均85ドル前後と予測しています。
日本にとって厄介なのは、数量回復そのものが赤字要因になる点です。中東からの輸入が途絶えれば数量は減りますが、経済活動には痛みが出ます。代替調達で数量を戻せば供給不安は和らぎますが、高い価格と円安で輸入額は膨らみます。7月統計は、この二者択一に近い構図を示しました。
このため、貿易赤字の見方も変わります。従来の赤字は、景気回復で輸入が増えた結果として説明されることがありました。今回は、供給網を守るために高い原油を買わざるを得ない赤字です。需要が強いから赤字になったというより、供給制約と安全保障コストを支払った結果として赤字が広がっています。
為替介入だけでは止まりにくい円売り圧力
円安が160円台に近づくと、市場では為替介入への警戒が高まります。過去にも日本当局は急速な円安に対して円買い介入を実施してきました。財務省は外国為替平衡操作の実施状況を公表しており、為替市場ではその有無が常に材料視されます。
しかし、介入は相場の速度を抑える政策であり、貿易赤字の構造を直接変える政策ではありません。原油を買う企業がドルを必要とし、輸入額が膨らみ、エネルギー価格が家計に波及する流れが残る限り、円売り圧力は再燃しやすくなります。
もう一つの論点は、所得収支の黒字と為替需給のずれです。日本は海外投資からの収益を大きく持つ国ですが、企業が海外で稼いだ利益がすぐ円に戻るとは限りません。統計上の経常黒字が円高を保証する時代ではなく、現実のドル需要と円転行動が相場を左右します。
今後の焦点は三つです。第一に、ホルムズ海峡の商業航行が安定して回復するかです。第二に、米国産やその他地域からの代替原油が一時対応で終わるのか、恒常的な調達ポートフォリオになるのかです。第三に、原油価格が下がっても円安が残る場合、輸入物価の高止まりがどこまで家計と企業収益を圧迫するかです。
市場が見ているのは、単なる160円という節目だけではありません。円安、原油高、代替調達コストが同時に動くと、日本の交易条件は悪化しやすくなります。為替介入だけでなく、金融政策、資源外交、省エネ投資、備蓄運用まで含む総合的な対応が必要になります。
読者が注視すべき交易条件と調達先の変化
7月の貿易赤字は、輸出不振ではなく輸入主導で広がりました。輸出額が11兆円を超えても、輸入額が12兆円を超えれば円安圧力は残ります。とくに原粗油の輸入増と161円台の為替レートが重なった点は、円安の背景を考えるうえで見逃せません。
今後は、月次の貿易収支だけでなく、原油輸入数量、ドル建て原油価格、税関長公示レート、対中東・対米輸入の内訳を合わせて確認する必要があります。原油価格が一時的に下がっても、調達先変更に伴う物流費や保険料が残れば、輸入額は簡単には戻りません。
投資家や企業経営者にとっては、円安を輸出株の追い風だけで捉える見方は不十分です。エネルギーを多く使う業種、価格転嫁が難しい企業、家計消費に依存する内需企業では、輸入コストの持続性が収益を左右します。日本経済の次の焦点は、円安の水準そのものより、貿易赤字を生む調達構造がどこまで恒常化するかにあります。
参考資料:
- 令和8年7月分貿易統計(速報)の概要
- 過去の報道発表資料 財務省貿易統計
- 2026年7月貿易統計 大和総研
- 日本の7月の対中東貿易、輸出入とも前年同月比増加に転じる JETRO
- Japan reports record exports and imports for July as energy costs climb AP News
- 外国為替市況(日次) 日本銀行
- 外国為替平衡操作の実施状況(日次ベース) 財務省
- 金融政策に関する決定事項等 2026年 日本銀行
- Short-Term Energy Outlook EIA
- Amid regional conflict, the Strait of Hormuz remains critical oil chokepoint EIA
- Oil Market Report - August 2026 IEA
- Strait of Hormuz IEA
- Japan Crude Oil Trade.gov
- The Strait of Hormuz: Defining ‘open’ in a complex market landscape S&P Global
- Oil prices extend slide as Iran and Oman eye temporary Hormuz deal MarketWatch
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