kinyukeizai.com
kinyukeizai.com

防衛費10兆円時代を招く事項要求乱用と予算審査空洞化の危険性

by 松本 浩司
URLをコピーしました

8兆8908億円要求が示す防衛費の転換点

防衛省の2027年度予算概算要求は、報道ベースで8兆8908億円とされ、過去最大規模となりました。ただし、この数字だけを見て防衛費の全体像を把握することはできません。防衛省資料は、現行の防衛力整備計画に基づく事業を歳出ベース約9兆円、契約ベース約8兆円として計上する一方、年内に予定される安全保障関連3文書改定の内容に左右される事業を「事項要求」としています。

問題の核心は、防衛力強化の是非そのものではありません。金額を示さない要求が多数並ぶことで、国会、納税者、市場が年末まで財政規模を読み切れない点です。防衛費は安全保障政策であると同時に、長期契約、為替、国債費、産業政策を巻き込む巨大なマクロ財政項目です。この記事では、事項要求がなぜ10兆円超の焦点になり、文民統制にどのような緊張をもたらすのかを検証します。

事項要求が隠す予算規模と査定の空白

金額なき要求が増える制度的背景

事項要求とは、概算要求の段階で金額を明示せず、政策項目だけを予算編成過程に載せる手法です。制度設計が未確定の施策、物価や為替の前提が動く施策、年末まで政治判断を待つ施策では、一定の合理性があります。財務省の2027年度概算要求方針も、防衛力整備計画対象経費は所要額を要求し、3文書改定に伴う対応は予算編成過程で検討するとしています。

したがって、事項要求そのものを直ちに不透明な操作と断じるのは正確ではありません。問題は、その範囲と使われ方です。防衛省の2027年度資料では、F35戦闘機、新型FFM、哨戒艦、潜水艦、固定翼哨戒機、クラウド、AI意思決定支援、サイバー拠点、生活勤務環境など、装備体系と組織基盤の広い範囲に事項要求が見られます。報道では、金額未定の項目は資料掲載分だけで約160項目に上ると整理されています。

これは単なる会計上の注記ではなく、予算を見る順序を変える出来事です。通常、概算要求額は各省が財務省に示す「入口の数字」として比較されます。しかし、金額のない項目が大量に残れば、入口の数字は政策の上限ではなく、最低限見えている部分に近づきます。8兆8908億円という見出しは、予算編成の全体ではなく、価格札が付いた部分の合計として読む必要があります。

2023年度予算で起きた上振れ

同じ構図は、2022年末の安保3文書策定を控えた2023年度予算でも起きました。当時の防衛省概算要求は5兆5947億円に事項要求を加える形でしたが、年末の政府案では防衛力抜本強化元年として大幅な積み増しが行われました。ブルームバーグは、3文書改定のため多くの項目が金額未定だった2023年度予算について、概算要求額から約18%増えたと報じています。

この18%を2027年度要求額に機械的に当てはめれば、10兆円を超える規模になります。もちろん、これは予測ではなく比較のための試算です。財務省査定、政治判断、装備の納入時期、為替前提、補正予算との役割分担によって最終額は変わります。それでも、過去の類似局面が示すのは、事項要求が多い年には概算要求額と政府予算案の距離が大きくなりやすいという事実です。

防衛予算では、歳出額と契約額の違いも見落とせません。艦船、航空機、ミサイル、情報システムは単年度で買い切るものではなく、複数年度契約を通じて後年度負担を生みます。契約ベースで積み上がる支出は、将来の予算を先取りします。事項要求が契約額にも及ぶ場合、表面上の歳出額以上に、次期政権や将来世代の財政余地を狭める可能性があります。

AIと無人機へ傾く防衛力変革の中身

反撃能力と低コスト兵器の同時拡大

2027年度要求の特徴は、従来の「7つの重視分野」から、AI、無人アセット、スタンド・オフ、統合防空ミサイル防衛、宇宙、サイバー、太平洋・シーレーン防衛、防衛生産・技術基盤、人的基盤という「3本柱・9項目」へ整理し直した点です。防衛省は、現行3文書の策定時より国内外の情勢が速く複雑に変化したとして、5年以内に防衛力を変革すると説明しています。

内容を見ると、ウクライナ戦争で可視化された無人機、AI、長射程火力、サイバー、衛星通信の重要性が強く反映されています。ブルームバーグは、滞空型ドローンMQ-9Bを17機取得するため2922億円超、極超音速誘導弾と関連装置に1673億円超を要求したと報じています。防衛省資料でも、サイバー領域では能動的サイバー防御に関する能力強化に308億円プラス事項要求、防衛セキュリティゲートウェイの機能強化に509億円が掲げられています。

一方で、主要装備の一部は金額未定です。F35A、F35B、新型FFM、哨戒艦、潜水艦、P1哨戒機などが事項要求に回ると、航空・海上戦力の将来像そのものが年末まで見えにくくなります。これは戦略上の柔軟性を確保する手法でもありますが、どの能力にいくら配分するのかという民主的な優先順位付けを後ろ倒しにする面もあります。

さらに、為替の問題があります。報道によれば、政府方針に基づく想定為替レートは1ドル149円です。輸入装備や海外部品を多く含む防衛調達では、円安が同じ装備を買うための円建てコストを押し上げます。装備単価が為替で膨らめば、能力増強ではなく購買力低下の穴埋めに予算が使われることになります。ここが、国際経済と防衛予算が直結する最も見えにくい接点です。

産業政策化する防衛予算

もう一つの変化は、防衛費が産業政策として語られ始めていることです。財務省は2027年度予算で「強く豊かな日本」投資枠を設け、要求上限を置かず、事項要求も含めて政策効果を精査するとしています。防衛省資料も、防衛生産・技術基盤を防衛力の基盤として位置づけ、国内投資や供給網の強化を重視しています。

この方向性には合理性があります。長期戦では、弾薬、部品、修理能力、ソフトウエア更新、人材の確保が継戦能力を左右します。海外製の完成品を買うだけでは、危機時の供給停止や輸送途絶に弱くなります。国内の防衛産業に一定の生産余力を持たせることは、抑止力の一部です。

ただし、防衛支出を「成長投資」と呼ぶ場合は、通常の公共投資以上に厳しい検証が必要です。防衛産業は民生市場へ波及する技術もありますが、需要の多くは政府に依存します。競争が限られれば、価格規律は弱くなります。政府保有・民間運営型の生産支援、研究開発補助、装備移転支援が広がるほど、個別企業への利益移転と国全体の安全保障便益を分けて評価する必要があります。

国債費の上昇も無視できません。財務省所管の2027年度概算要求では、国債費が36兆6386億円とされ、前年度比で5兆円超の増加です。金利上昇局面で防衛費を恒常的に膨らませるなら、税、歳出改革、税外収入、国債発行のどれで賄うのかを明示しなければなりません。安全保障環境が厳しいほど、財源の説明も厳密であるべきです。

文民統制を弱める情報不足の連鎖

防衛白書は、文民統制を「軍事に対する政治の優先」と説明し、国会が自衛官の定数、主要組織、予算を法律や予算の形で議決することを制度の柱に置いています。つまり、文民統制は首相や防衛相が自衛隊を指揮するだけで完結しません。国会と国民が、何を、いくらで、どのような目的で整備するのかを検証できることが条件です。

事項要求が約160項目に及ぶ場合、この条件は弱まります。年末の政府案まで金額が見えなければ、秋の段階で国会が比較できるのは、政策名と一部の金額だけです。装備の必要性、調達数量、国内生産比率、ライフサイクルコスト、後年度負担、代替案の検討が十分に開示されなければ、予算審査は「防衛力強化に賛成か反対か」という粗い政治対立に吸収されます。

安全保障には機密が必要です。作戦計画や具体的な能力の細部を全面公開することはできません。しかし、機密と予算不透明性は同じではありません。集計区分、金額レンジ、契約年限、為替感応度、主要装備の取得方針、政策評価の指標は、機密を守りながら説明できます。むしろ、ここを開示しなければ、防衛力強化への国民的支持は持続しにくくなります。

年末予算案で読者が確認すべき論点

2027年度防衛予算を見る際は、概算要求の8兆8908億円ではなく、年末の政府案で事項要求がどれだけ金額化されるかを確認する必要があります。特に、最終的な防衛関係費が10兆円を超えるのか、契約ベースと後年度負担がどこまで増えるのか、F35や艦船など主要装備の数量がどう変わるのかが焦点です。

同時に、財源も見逃せません。GDP比2%という目標は、防衛力の中身を測るものではなく、経済規模に対する支出水準の指標です。名目GDP、為替、金利が動けば、同じ比率でも必要な円建て額は変わります。読者が注視すべきなのは、金額の大きさだけではなく、その支出が抑止力、産業基盤、人材確保、財政持続性のどれに結びついているかです。防衛費の膨張をめぐる本当の論点は、増額の是非よりも、検証できる形で増額されているかにあります。

参考資料:

松
松本 浩司

マクロ経済・国際経済

国際経済の潮流を、通商政策・為替・新興国の動向から多角的に分析。グローバル経済の「次の震源地」を見極める。

関連記事

日本の防衛予算はどこまで増えるのか GDP比3〜5%の現実

日本の防衛予算はどこまで増えるのか。2026年度9兆353億円の現在地を起点に、GDP比3〜5%へ拡大した場合の財源、装備、人員、社会的受容の壁を整理し、世界的な軍拡と米国の5%要求が、日本の安全保障政策と財政運営に及ぼす現実的な圧力を分析。増額シナリオごとの重い代償も見通す。増税論も絡む。争点だ。

日本の原潜保有論が再浮上、68年の検討史と国家決断の条件とは

日本の原子力潜水艦構想は、1958年の民間試設計から68年を経て安全保障3文書改定の論点に浮上した。小泉純也元防衛庁長官の「造る意思なし」と孫・進次郎防衛相の「選択肢を排除しない」を起点に、原子力基本法、NPT・IAEA保障措置、建造費、人材、AUKUSの教訓を検証し、導入判断に必要な条件を読み解く。

新型イージス艦ASEV、中国海軍をにらむ海自戦略の核心を解く

海上自衛隊が建造するイージス・システム搭載艦ASEVは、北朝鮮の弾道ミサイル防衛を主眼としながら、既存イージス艦8隻を南西方面へ振り向ける戦略装置でもある。SPY-7、128セルのVLS、SM-6や将来の長射程ミサイルが変える対中抑止の構図を検証。約2兆円の費用、人員不足、巨大艦ゆえの脆弱性まで多角的に読み解く。

花咲線・釧網本線を廃止できない国境の会計事情と安全保障の現実

JR北海道の花咲線と釧網本線は2025年度も営業赤字が続く一方、根室半島から3.7km先に北方領土が迫る国境地域の生活・観光・防災を支えます。輸送密度、営業損益、修繕費増、地域負担、国の支援制度を照合し、JR・自治体・国が担うべき費用分担と具体策、廃止論だけでは測れない公共交通の価値を丁寧に読み解く。

10式戦車調達ゼロの衝撃、陸自改革と国産防衛産業再編の分岐点

2026年4月の日出生台演習場事故で10式戦車の射撃訓練は制限され、2027年度概算要求から新規戦車取得が消えた。無人機重視、陸自の定員不足、国産防衛産業の維持、島嶼防衛に必要な機動打撃力の再定義まで、予算配分と安全保障、ウクライナ戦争の教訓、財政制約の現実を踏まえ、戦車ゼロ要求の意味を深く読み解く。

最新ニュース

猫2匹と100種の植物が共存、壁を傷めない賃貸DIYの安全設計

築34年の賃貸マンションで、猫2匹と100種超の植物が安全に共存する住まいをどうつくるのか。有毒植物を購入前に学名で照合する方法、壁に穴を開けない突っ張り柱と自立棚の使い分け、荷重・地震・湿気・害虫への備え、猫の逃げ場と動線、退去時の原状回復まで、園芸経験者の発想を一般の賃貸住宅で再現する設計手順を解説する。

無料訪問は怪しい?ホームスタートが孤立する親子を支える仕組み

無料で自宅を訪ねるホームスタートは、研修を受けた子育て経験者が傾聴と協働で親子に寄り添う家庭訪問型支援です。週1回約2時間、4〜6回の活動内容、オーガナイザーによる調整と安全管理、家事代行・託児との違い、2025年度に3271家庭へ届いた実績、利用前に確認したい地域差や限界と相談先まで詳しく解説します。

日本の原潜保有論が再浮上、68年の検討史と国家決断の条件とは

日本の原子力潜水艦構想は、1958年の民間試設計から68年を経て安全保障3文書改定の論点に浮上した。小泉純也元防衛庁長官の「造る意思なし」と孫・進次郎防衛相の「選択肢を排除しない」を起点に、原子力基本法、NPT・IAEA保障措置、建造費、人材、AUKUSの教訓を検証し、導入判断に必要な条件を読み解く。

しまなみ海道の外国人客が3割超 映画ロケ地人気を支える観光設計

映画『汝、星のごとく』の舞台として脚光を浴びる、尾道と今治を結ぶしまなみ海道。2024年度はレンタサイクル13万5735台の32.2%を外国人が占めた。70キロのブルーライン、乗り捨て、電動化、無料の橋梁通行、島文化が生む体験価値を整理し、急増客を滞在消費へ変える地域課題と旅行者が守るべきマナーを読み解く。

恋愛が怖い若者へ、傷つく不安を越えて関係を育てる心の実践処方箋

恋人がいる未婚者は男性19.6%、女性27.8%――最新の出生動向基本調査が示す若者の恋愛離れを、拒絶への敏感さ、男子校・女子校の交流経験、SNS時代の評価不安から分析。林真理子さんの「欲望」を手がかりに、本人が無理なく踏み出す方法と、親が干渉せず自律を支える具体策、安全な関係の境界線まで解説する。