銀行の国債保有を阻むコア預金モデルの逆流とは
日銀27兆円減後の国債の担い手問題
2024年3月の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の終了以降、日本銀行は国債市場からの段階的な退場を進めています。日銀の保有する長期国債残高は1年で27兆円超も減少しました。「日銀の代わりに誰が国債を持つのか」という問題が、財務省や金融関係者の間で大きな懸念となっています。
その中で注目されているのが、銀行の国債保有を事実上阻んでいる「コア預金モデル」の問題です。本記事では、コア預金モデルとは何か、なぜそれが国債保有の足かせとなっているのか、そして国債市場の安定消化に向けた課題を解説します。
コア預金モデルとは何か
預金の「実質的な満期」を測る仕組み
コア預金モデルとは、銀行が保有する流動性預金(普通預金や当座預金など)のうち、長期間にわたって引き出されずに滞留し続ける部分を推定する統計的手法です。日本銀行が2011年に公表した論文で、その特徴と留意点が体系的に整理されています。
流動性預金は制度上、預金者がいつでも引き出すことができます。しかし、実際には多くの預金がそのまま銀行に留まり続けます。この「引き出されにくい預金」がコア預金であり、銀行にとっては事実上の長期資金源として機能します。
コア預金の量を正確に把握することは、銀行のALM(資産負債管理)において極めて重要です。コア預金が多ければ、銀行はそれに見合った長期の運用(国債投資など)が可能になります。逆に、コア預金が少なく見積もられれば、長期運用に振り向けられる資金は制限されます。
二つの推定手法
コア預金の推定方法には、「標準的手法」と「内部モデル手法」の二つがあります。標準的手法は簡便ですが保守的な数値になりやすく、内部モデル手法はより精緻な推定が可能な一方、モデル構築のための専門的な知識とデータが必要です。
大手金融機関を中心にコア預金の内部モデル手法の導入が進められてきましたが、地方銀行などでは標準的手法に依存するケースも多く、結果としてコア預金が過小に評価される傾向がありました。
なぜコア預金モデルが「逆流」しているのか
金利上昇局面でモデルが機能しない
コア預金モデルの最大の問題は、日本国内における金利上昇局面のデータが極めて乏しいことです。日本は1990年代後半からおよそ25年にわたって超低金利環境が続いてきました。現在のコア預金モデルの多くは、この低金利時代のデータに基づいて構築されています。
金融庁はこの点について、金利上昇データが不足しており十分に蓄積されていないことを懸念し、各金融機関に対してコア預金モデルの検証を要請しています。低金利時代に構築されたモデルが、金利上昇局面で実態と乖離するリスクがあるためです。
預金流出リスクの再評価
金利が上昇すると、預金者の行動が変化する可能性があります。定期預金や個人向け国債など、より高い利回りを提供する金融商品へ資金がシフトすれば、普通預金の残高は減少します。これはコア預金の前提を根底から覆すことになります。
特にネット銀行やフィンテック企業が高金利の預金商品を提供する環境では、預金の流出ペースが従来のモデルの想定を上回る可能性があります。コア預金モデルが過大に見積もった「安定資金」に基づいて長期国債を保有していた場合、資金と運用のミスマッチが生じるリスクがあるのです。
銀行の国債保有が抱えるジレンマ
含み損の拡大
金利上昇は銀行にとって、貸出金利の改善を通じた収益拡大のチャンスである一方、保有する既存の国債の価格下落(含み損の拡大)というリスクも伴います。2025年4〜9月期の地方銀行の決算では、8割の銀行が増益・黒字転換となった一方で、国内債券の含み損は前年同期比で2倍の約3兆円にまで膨らみました。
上位の地方銀行は損切り(含み損のある国債の売却)を進めて身軽になっていますが、下位の地方銀行にはリスクが蓄積しているとの指摘もあります。この状況下で新たに長期国債を大量に購入することには、当然ながら慎重にならざるを得ません。
ALM運営の高度化が急務
「金利のある世界」への回帰に伴い、銀行にはALM運営の高度化が求められています。三菱UFJリサーチ&コンサルティングやPwCなどのコンサルティングファームも、コア預金モデルの高度化やALM支援のサービスを展開しています。
日銀は0.25%の利上げごとに、民間金融機関の利子所得が年率1.3兆円増加すると試算しています。中長期的には金利上昇が銀行セクター全体の収益を押し上げますが、移行期においてはリスク管理の巧拙が銀行の経営を大きく左右します。
国債市場の安定消化に向けた課題
日銀の退場と新たな買い手
日銀は2025年度上半期に保有国債を27兆円超減少させ、減少率は年率換算で7.2%と推計されています。2026年4月からは減額ペースを緩め、四半期ごとの減額幅を現行の4,000億円から2,000億円程度に縮小する案が浮上しています。
しかし、それでも日銀の保有国債は着実に減少していきます。この減少分を誰が引き受けるかが、国債市場の安定にとって最大の課題です。銀行、保険会社、年金基金、そして海外投資家が候補ですが、海外投資家への依存度が高まれば、より高いリスクプレミアムを求められるため金利上昇圧力が強まる可能性があります。
構造的な対応の必要性
コア預金モデルの精緻化は、銀行が国債保有を拡大するための前提条件の一つです。金利上昇局面での預金者行動データの蓄積と、それに基づくモデルの更新が不可欠です。同時に、銀行の国債保有に伴う金利リスクを適切に管理するための規制の枠組みも見直しが求められています。
コア預金モデル精緻化と国債安定消化
日銀の国債市場からの退場が進む中、「誰が国債を持つのか」という問いは日本の金融システムにとって避けて通れない課題です。銀行が国債保有を拡大するには、コア預金モデルの精緻化とALM運営の高度化が不可欠ですが、金利上昇局面のデータ不足という構造的な壁が立ちはだかっています。
国債市場の安定消化のためには、銀行の内部管理体制の強化に加え、多様な投資家層を育成する市場全体の取り組みが必要です。金利正常化という歴史的な転換期において、日本の金融市場の対応力が問われています。
参考資料:
関連記事
長期金利2.8%急騰の深層、日銀正常化だけでない国債安の連鎖
10年国債利回りが一時2.8%と29年ぶり水準へ上昇した背景を、日銀の利上げ観測と国債買入れ減額だけでなく、原油高による物価上振れ、財政不安、超長期債の買い手不足、世界的な債券安の連鎖から分解。住宅ローンや企業金融、政府利払いへの波及と金利再安定の条件、投資家が次に見るべき指標まで具体的に読み解く。
長期金利2%台の行方、日銀追加利上げと10年国債市場の現在地
長期金利2%台が定着するのかを検証。10年国債利回りの上昇は日銀の追加利上げ観測だけでなく、国債需給、財政不安、賃金と物価の持続性を映す。春闘の帰結と国債発行動向を踏まえ、2026年末までの金利水準、追加利上げ時期、政策経路の現在地を立体的に読み解く。市場が見る長期金利の新常態化の可能性も丁寧に探る。
国債の安定消化へ個人向け優遇策が急務となる背景
国債の安定消化に個人向け優遇策が急がれる理由を解説。10年国債2.34%、30年国債3.87%に達した金利上昇局面で、日銀のQTや生保の慎重姿勢が需給をどう変えたのか。家計金融資産を国債へ促す必要性、想定される優遇策、市場金利や財政運営への波及を整理して分析。今後の個人マネー争奪戦の行方も展望する。
稚内信金200億円支援が映す地方信金の国債依存リスク急拡大の構図
稚内信用金庫が200億円の優先出資で資本増強に踏み切った。自己資本比率64.43%でも国債含み損と預金減少が重なると、地域金融の余力は急速に細る。栃木信金の支援例や日銀資料、信金中金総研の預金動向も踏まえ、貸出先不足が国債依存を生む構造を読み解く。
2026年の日銀利上げでも日本株が崩れにくい明快な三つの構造理由
日銀は2026年9月に政策金利を1.25%へ引き上げたが、日本株は円安、AI需要、賃上げ、東証改革に支えられた。CPI1.9%、実質GDP年率1.4%、春闘5.01%などのデータから、利上げが株安に直結しにくい日本市場の構造変化、業種別の濃淡、過熱局面で見るべき指標を読み解く。
最新ニュース
猫2匹と100種の植物が共存、壁を傷めない賃貸DIYの安全設計
築34年の賃貸マンションで、猫2匹と100種超の植物が安全に共存する住まいをどうつくるのか。有毒植物を購入前に学名で照合する方法、壁に穴を開けない突っ張り柱と自立棚の使い分け、荷重・地震・湿気・害虫への備え、猫の逃げ場と動線、退去時の原状回復まで、園芸経験者の発想を一般の賃貸住宅で再現する設計手順を解説する。
無料訪問は怪しい?ホームスタートが孤立する親子を支える仕組み
無料で自宅を訪ねるホームスタートは、研修を受けた子育て経験者が傾聴と協働で親子に寄り添う家庭訪問型支援です。週1回約2時間、4〜6回の活動内容、オーガナイザーによる調整と安全管理、家事代行・託児との違い、2025年度に3271家庭へ届いた実績、利用前に確認したい地域差や限界と相談先まで詳しく解説します。
日本の原潜保有論が再浮上、68年の検討史と国家決断の条件とは
日本の原子力潜水艦構想は、1958年の民間試設計から68年を経て安全保障3文書改定の論点に浮上した。小泉純也元防衛庁長官の「造る意思なし」と孫・進次郎防衛相の「選択肢を排除しない」を起点に、原子力基本法、NPT・IAEA保障措置、建造費、人材、AUKUSの教訓を検証し、導入判断に必要な条件を読み解く。
しまなみ海道の外国人客が3割超 映画ロケ地人気を支える観光設計
映画『汝、星のごとく』の舞台として脚光を浴びる、尾道と今治を結ぶしまなみ海道。2024年度はレンタサイクル13万5735台の32.2%を外国人が占めた。70キロのブルーライン、乗り捨て、電動化、無料の橋梁通行、島文化が生む体験価値を整理し、急増客を滞在消費へ変える地域課題と旅行者が守るべきマナーを読み解く。
恋愛が怖い若者へ、傷つく不安を越えて関係を育てる心の実践処方箋
恋人がいる未婚者は男性19.6%、女性27.8%――最新の出生動向基本調査が示す若者の恋愛離れを、拒絶への敏感さ、男子校・女子校の交流経験、SNS時代の評価不安から分析。林真理子さんの「欲望」を手がかりに、本人が無理なく踏み出す方法と、親が干渉せず自律を支える具体策、安全な関係の境界線まで解説する。