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スマホ遺言制度導入で問われる本人確認とAI改ざん防止策の要点

by 白石 葵
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スマホ遺言が制度化へ向かう背景

遺言制度のデジタル化は、単に「紙をスマホに置き換える」話ではありません。2026年4月3日に閣議決定された民法改正案は、パソコンやスマートフォンで作成した遺言を法務局で保管する「保管証書遺言」を新たに設ける方向です。5月26日には同改正案が衆議院を通過したと報じられ、実装段階の論点が現実味を帯びています。

背景には、高齢者のデジタル利用の拡大があります。NICTが総務省調査を基に整理した2024年データでは、65歳以上でもインターネット利用機器としてスマートフォンを使う割合が72.3%に達しています。一方で、国民生活センターは、スマホのロック解除やサブスク解約で遺族が困る「デジタル遺品」相談を公表しています。遺言のデジタル化は、相続の入口だけでなく、死後のアカウント管理やオンライン財産の把握まで含めた生活インフラの再設計です。

保管証書遺言が変える作成フロー

全文自書から口述確認への重心移動

現行の自筆証書遺言は、遺言者が全文、日付、氏名を自書し、押印する方式が基本です。財産目録はパソコン作成が認められてきましたが、本文を長く正確に手書きする負担は残っていました。高齢者や障害のある人にとって、文字を書くこと自体がハードルになり、制度を使える人を狭めていた面があります。

保管証書遺言の肝は、この負担を「作成時の手書き」から「保管時の本人確認」へ移す点です。法制審議会の要綱案では、遺言の全文を電磁的記録または書面で作成できる一方、遺言者が遺言書保管官の前で全文を口述することが柱とされています。FNNの報道でも、偽造防止や本人の真意確認のため、対面または職員が認めたウェブ会議で全文を読み上げる方式が紹介されています。

この設計は、タイピングや音声入力で下書きを作れる利便性と、公的機関が最後に本人を確認する安全性を両立させる狙いです。ただし、読み上げだけで本人の真意が完全に担保されるわけではありません。本人が家族に強く促されている、AIが作った文面を理解しないまま読んでいる、画面外に指示者がいるといったケースは残ります。制度の実効性は、法務局の確認手順、ウェブ会議の運用、記録の保存範囲で大きく変わります。

法務局保管と公正証書の役割分担

紙の遺言で大きなリスクだったのは、死亡後に見つからない、破棄される、内容が書き換えられるという問題です。裁判所は、自宅などで保管された遺言書について、遺言者の死亡後に家庭裁判所の検認を請求する必要があると説明しています。検認は偽造・変造防止のための手続であり、有効・無効を判断する手続ではありません。

これに対して、法務局で保管された自筆証書遺言や、公証役場で作成された公正証書遺言では、検認の負担がなくなります。日本公証人連合会は、公正証書遺言の原本が公証役場または電子化後のシステムに保管され、改ざんや隠匿の心配がないと説明しています。さらに平成元年以降の公正証書遺言については、相続人などが保管公証役場を検索できる仕組みもあります。

保管証書遺言は、この公的保管のメリットを、より低い作成負担で広げる制度です。ただし、公正証書遺言と同じではありません。公正証書遺言は公証人が作成過程に深く関与しますが、保管証書遺言では本人が作成した文面を保管する色彩が強くなります。つまり、法務局は「本人がその文面を出した」ことを確認しても、「内容が相続実務上最適か」までは保証しません。遺留分、受益者の表記、デジタル資産の所在などは、士業や金融機関、終活サービスが支援すべき領域として残ります。

ここにSaaS型サービスの商機と責任があります。文案作成、財産目録の更新、本人確認、士業レビュー、死亡後通知を一つの画面でつなげれば利便性は高まります。一方で、法的効力を過大にうたう広告や、AIが出した文案を専門家レビュー済みのように見せる設計は危険です。プロダクトが担うのは「遺言の成立」ではなく、本人の意思形成と記録保全を補助する範囲だと明確に切り分ける必要があります。

AIなりすましを防ぐ本人確認設計

電子署名と生体認証の限界

デジタル遺言で最も警戒すべきなのは、見知らぬハッカーだけではありません。実際には、端末を共有する家族、暗証番号を知る親族、介護や事務を手伝う近しい人が、本人の代わりに操作できてしまう場面が問題になります。さらに生成AIの普及で、本人の文体に似せた文章、本人の声に似せた音声、本人の顔を使った映像を作るコストが下がりました。

デジタル庁のJPKI説明では、公的個人認証サービスはマイナンバーカードの電子証明書を利用し、オンラインで利用者本人の認証や文書の改ざん確認を行う仕組みとされています。署名用電子証明書は、電子申請時の電子署名に使われ、公開鍵認証方式を採用しています。これは、文書が署名後に改ざんされていないことを確認する有力な手段です。

しかし、電子署名は「署名鍵と暗証番号を使った人」が本人であるという前提に立ちます。暗証番号を家族が知っている、端末がロック解除されたまま渡されている、本人が理解しないまま操作させられている場合、電子署名だけでは真意性を証明しきれません。デジタル庁のオンライン本人確認ガイドラインも、認証データを盗んで再送するリプレイ攻撃を、なりすましの一種として整理しています。

顔認証や音声認証にも同じ限界があります。NRIセキュアは、ディープフェイクをAIで作られた偽写真、動画、音声全般として説明し、音声認証や顔認証が突破されるリスクに触れています。金融庁が整理するeKYCは、オンラインで完結する本人確認を広げる重要な基盤ですが、金融業界でも本人確認書類の画像、ICチップ情報、電子証明書などを組み合わせる発想が前提です。遺言のように一度の手続が家族関係と財産承継を左右する場面では、単独の認証方式に依存しない設計が必要です。

家族による介入を残す監査ログ

デジタル遺言の安全性は、本人確認の瞬間だけではなく、作成から保管までの履歴で決まります。たとえば、AIが作った案文を本人がどこまで修正したのか、誰がサービスにログインしたのか、どの端末からファイルが提出されたのか、保管前にどの版が削除されたのか。この履歴が残らなければ、後日の紛争で「本人の意思だったのか」を検証しにくくなります。

終活SaaSや士業向けクラウドが備えるべき機能は、華やかなAIチャットよりも地味な監査ログです。ログイン履歴、IPアドレス、端末情報、文案のバージョン差分、AI生成部分の明示、専門家の確認日時、本人確認の方式を改ざん困難な形で保存することが求められます。ブロックチェーンという言葉を前面に出すより、誰が、いつ、何を確認し、後からどこまで検証できるかを設計する方が実務上の価値があります。

ウェブ会議による確認では、金融のオンライン本人確認で使われるライブネス確認の考え方も参考になります。あらかじめ録画された映像ではなく、その場で指示された動作や質問に反応できるかを確認する方法です。ただし、相続では「本人らしい反応」だけでなく、文面の理解と自由意思が重要です。法務局や支援事業者は、本人だけの環境で確認する、周囲に第三者がいないことを確認する、特定の相続人に有利な内容だけを急がせていないかを質問する、といった運用を詰める必要があります。

AIの役割も線引きが必要です。AIは、財産目録の整理、用語の説明、チェックリスト作成には向いています。一方で「誰に多く残すべきか」「この相続人を外すべきか」といった価値判断を誘導する設計は避けるべきです。AIが下書きを助ける場合でも、出力内容、利用日時、最終確認者を残すことが、後日の説明責任につながります。

デジタル終活サービスに残る運用課題

デジタル遺言が整っても、死後の実務が自動で片付くわけではありません。国民生活センターは、故人のネット銀行を確認したくてもスマホのロックを解除できない、コード決済の残高確認に時間がかかる、サブスクを解約したいのにIDとパスワードが分からないといった相談事例を示しています。サブスクは契約者が亡くなっても、事業者が死亡を知る手段がなければ請求が続くこともあります。

このため、デジタル終活サービスは遺言作成支援だけでは不十分です。ネット銀行、証券、暗号資産、コード決済、クラウド写真、SNS、サブスク、ドメイン、スマホ決済アプリを棚卸しし、死亡後に誰がどの情報へアクセスできるかを決める機能が必要です。消費者庁のサブスクリプション調査では、解約経験者の60.3%が解約時に困ったことがあり、39.3%が解約方法が分からなかったとされています。生前の整理は、遺族の時間と費用を減らす現実的な対策です。

ただし、パスワード一覧を家族に丸ごと渡すのは別のリスクを生みます。本人の生前に閲覧されれば、金融資産の移動やアカウント乗っ取りが起き得ます。国民生活センターが紹介する「スマホのスペアキー」の考え方は有効ですが、遺言とは別に、封印、保管場所、開封条件を設けるべきです。パスワードマネージャーの緊急アクセス機能、貸金庫、信頼できる専門家への保管、家族会議の議事録などを組み合わせると、便利さと安全性のバランスを取りやすくなります。

読者が備える三層の終活チェック

読者が今からできる準備は三層で考えると整理しやすくなります。第一は、法的意思の層です。誰に何を承継させるか、遺言執行者を誰にするか、遺留分への配慮が必要かを、紙かデジタルかに関係なく確認します。制度が施行されるまでは、現行の自筆証書遺言、公正証書遺言、法務局保管制度の選択肢を比較することが現実的です。

第二は、本人確認と記録の層です。マイナンバーカードの電子証明書、暗証番号管理、スマホのロック解除方法、家族が知ってよい情報と知られて困る情報を分けます。AIで作成した文案を使うなら、最終版だけでなく修正過程も残す意識が必要です。

第三は、デジタル遺品の運用層です。ネット銀行やサブスクの一覧、連絡先、解約条件、死亡後に見てほしい写真や削除してほしいデータを整理します。スマホで遺言を残せる時代ほど、最後に問われるのは技術の新しさではありません。本人の意思を、家族が疑わず実行できるだけの証跡と手順を残せるかどうかです。

参考資料:

白石 葵

SaaS・DXスタートアップ

SaaS企業やDXスタートアップを、同世代の目線から取材。プロダクトの仕組みとビジネスモデルの両面から新興企業の実力を見極める。

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