DV被害と親子引き離しの現実──法的支援の課題
はじめに
配偶者やパートナーからの暴力、いわゆるDV(ドメスティック・バイオレンス)は、被害者本人だけでなく、その子どもの人生にも深刻な影響を及ぼします。暴力から逃れようとした親が子どもを連れて避難する一方で、加害側から「子どもを連れ去った」と主張されるケースも後を絶ちません。
令和5年の配偶者暴力に関する警察への相談件数は8万8619件に上り、DV防止法施行以降で最多を記録しました。こうした状況のなか、2026年4月には離婚後の共同親権を認める改正民法が施行され、DV被害者の間で新たな不安が広がっています。
本記事では、DVと親子引き離し問題の複雑な構造を整理し、被害者を支える弁護士や法テラスが直面する課題、そして制度改正がもたらす影響について解説します。
DVと子どもの引き離し──問題の全体像
増え続けるDV相談と被害の実態
DVの相談件数は年々増加の一途をたどっています。配偶者暴力相談支援センターへの相談件数は令和2年度に過去最高を記録して以降、高水準で推移しています。東京都における令和7年中の相談件数も9336件と前年から増加しました。
DVには身体的暴力だけでなく、精神的暴力(暴言・無視・行動の監視)、経済的暴力(生活費を渡さない)、性的暴力など多様な形態があります。とりわけ精神的DVは外傷が残りにくいため立証が困難であり、被害者が声を上げにくい要因となっています。
子どものいる家庭でDVが発生した場合、被害者である親は子どもを守るために家を出る判断を迫られます。しかし、加害者側が「正当な理由なく子どもを連れ去った」と主張するケースがあり、被害者は加害と被害の境界線で翻弄されることになります。
家庭裁判所をめぐる構造的課題
DV被害者が離婚手続きに進んだ場合、家庭裁判所での調停や審判が重要な場面になります。しかし、裁判所の実務では面会交流が原則として推奨される傾向があり、DV被害者にとっては大きな負担です。
被害者からは「DVがあっても面会交流は子どもに害がないと言われた」「保護命令が出ていても、加害者の反省を理由に面会交流を促された」という声が上がっています。裁判所による面会交流の積極的な推進は、DV被害者の心理的回復を妨げ、子どもの監護にも悪影響を及ぼす可能性が指摘されています。
家庭裁判所の調停委員の多くは60代以上であり、現代のDVやモラルハラスメントに関する知識が十分でない場合もあるとされています。調停の場でDV加害者の主張を被害者の主張と同等に扱うことで、被害者がさらに追い詰められるケースも報告されています。
2026年施行の共同親権──DV被害者への影響
改正民法の概要と狙い
2026年4月1日、離婚後の共同親権を可能にする改正民法が施行されました。従来は離婚後に父母のいずれか一方が親権を持つ「単独親権」のみが認められていましたが、改正法により父母の協議によって「共同親権」を選択できるようになりました。
この制度は「選択的共同親権制」と呼ばれ、共同親権を義務化するものではありません。離婚後も両親が子どもの養育に関わることで、子どもの利益を最大化するという趣旨で導入されました。
DV被害者が抱える懸念
しかし、DV被害者やその支援者からは強い懸念の声が上がっています。最も深刻な問題は、DVや虐待が存在するケースにおいて、被害者が加害者と継続的に関わらざるを得なくなるリスクです。
改正法では、DVや虐待のおそれがある場合には裁判所が必ず単独親権とすることが定められています。ところが、精神的DVやモラルハラスメントの客観的証拠を示すことは容易ではありません。証拠が不十分と判断されれば、単独親権が認められない可能性があります。
その結果、被害者が離婚を優先するために共同親権に合意せざるを得ない状況が生じるとの懸念があります。共同親権が成立すれば、加害者は子どもの教育や医療に関する重要な決定に関与し続けることができ、被害者への間接的な支配が継続される危険性があるのです。
反対の声と制度運用の課題
北海道弁護士会連合会は、離婚後共同親権を含む民法改正法に反対し、再度の改正または施行延期を求める決議を行っています。児童虐待やDVの被害者を含むひとり親家庭や子どもに生じる不利益は「具体的かつ重大なもの」だと指摘しています。
制度の運用にあたっては、家庭裁判所がDVの有無を適切に見極める能力が問われます。現状の調停制度や人員体制で、DVの複雑な実態を十分に把握できるかが大きな課題です。
法テラスと弁護士報酬──支援の最前線が抱えるジレンマ
法テラスの役割と費用構造
法テラス(日本司法支援センター)は、経済的に余裕のない人が弁護士に依頼できるよう、費用の立替えを行う公的機関です。DV被害者にとっては、安全を確保しながら法的手続きを進めるための生命線ともいえる存在です。
法テラスでは、DV・ストーカー・児童虐待の被害者を対象とした「DV等被害者法律相談援助」制度を設けており、資力にかかわらず弁護士による法律相談を受けることができます。弁護士は被害者の心情に配慮しながら、二次被害を防ぐよう心がけて対応します。
しかし、法テラスを通じた弁護士報酬は、一般の法律事務所と比較して大幅に低い水準に設定されています。離婚調停の場合、法テラスの費用は着手金と実費を合わせて約13万円であるのに対し、一般の法律事務所では約24万円とされています。離婚訴訟では、法テラスの報酬金が約8万4000円であるのに対し、一般的な事務所では32万円から53万円程度です。
担い手不足という深刻な問題
この報酬水準の低さが、法テラス案件を引き受ける弁護士の確保を困難にしています。DV案件は感情的な負荷が高く、加害者からの報復リスクへの対応も必要です。保護命令の申立て、離婚調停、子の監護に関する審判、財産分与など手続きは複雑多岐にわたります。
それにもかかわらず、弁護士が受け取る報酬は一般事務所の数分の一にとどまるため、採算が合わないと判断する弁護士が少なくありません。法テラスに登録していても離婚案件は受けないという事務所もあり、被害者が弁護士を見つけられないケースが発生しています。
さらに、遠方の裁判所で手続きを行う場合でも、法テラスでは追加の交通費や出張日当が十分にカバーされないという問題もあります。こうした構造的な課題は、DV被害者が適切な法的支援にアクセスする障壁となっています。
注意点・今後の展望
DV防止法改正の前進と残る課題
2024年4月には改正DV防止法が施行され、制度面での前進が見られました。保護命令の申立てができる被害者の範囲が拡大され、身体的暴力だけでなく、自由・名誉・財産に対する脅迫を受けた人も対象に含まれるようになりました。保護命令の有効期間は6か月から1年に延長され、違反に対する罰則も強化されています(2年以下の懲役または200万円以下の罰金)。
一方で、精神的DVの認定基準の曖昧さ、シェルターの入居条件の厳格さ(身体的暴力がないと利用できない場合がある)、シェルター退所後の生活再建支援の不十分さなど、制度の実効性にはなお課題が残ります。
「虚偽DV」問題と議論の複雑さ
DVによる親子引き離しを論じる際、「虚偽DV」や「でっちあげDV」の問題も無視できません。一方の親がDV被害を訴えて子どもを連れて別居し、もう一方の親が子どもに会えなくなるケースでは、DV申告の真偽をめぐって激しい対立が生じます。
DV防止法は被害の申告に基づいて迅速に保護措置を講じる仕組みであり、申告された側に十分な弁明の機会が保障されているとはいいがたい面があります。真のDV被害者を守りながら、不当な申告による権利侵害をどう防ぐかは、制度設計上の難問です。
この問題に対しては、感情的な二項対立ではなく、子どもの最善の利益を軸に据えた冷静な議論が求められます。
まとめ
DVによる親子引き離し問題は、被害者・加害者・子どもそれぞれの権利が複雑に絡み合う、一筋縄ではいかない社会課題です。2026年4月に施行された共同親権制度は、子どもの利益を目指す一方で、DV被害者にとっての新たなリスク要因にもなりえます。
法テラスの弁護士報酬の構造的な低さは、最も支援を必要とする人々への法的サービスの供給を細らせています。制度改正による保護の強化と、現場を支える弁護士への適正な報酬確保の両立が不可欠です。
DVに直面している場合は、まず配偶者暴力相談支援センターや法テラス(0570-078374)に相談することが第一歩です。一人で抱え込まず、専門家の力を借りることが、自分と子どもの安全を守る最善の選択肢となります。
参考資料:
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