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富士通が挑むシニア人材再起動、静かな退職を防ぐ報酬改革の勝算

by 佐藤 理恵
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静かな退職が中高年へ広がる構造

「静かな退職」は若手の価値観変化だけでは説明できない段階に入っています。マイナビの2026年調査では、20〜50代正社員の46.7%が静かな退職をしていると回答し、50代でも46.7%に達しました。仕事を辞めるのではなく、貢献意欲を絞って会社に残る人が、世代をまたいで増えている構図です。

背景には、評価や配置への納得感の低下があります。マイナビ調査では、静かな退職を続けたい人が73.7%にのぼり、企業側でも42.2%が静かな退職に賛成しています。これは単なる怠慢ではなく、会社が求める貢献と、個人が得られる処遇や成長機会の釣り合いが崩れたサインです。

この問題がとくに深刻なのは、役職定年や定年再雇用を控える中高年層です。長年の経験を持ちながら、職責と給与が急に縮小すれば、本人は「期待されていない」と受け止めやすくなります。人手不足が慢性化する日本企業にとって、シニア人材をどう活かすかは福利厚生ではなく、収益力とリスク管理に直結する経営課題です。

役職定年と再雇用が生む60歳の壁

給与低下が意欲を削る会計構造

日本企業のシニア雇用には、長く「雇用は守るが、処遇は下げる」という設計が残ってきました。厚生労働省の令和7年「高年齢者雇用状況等報告」では、65歳までの雇用確保措置を実施済みの企業は99.9%です。一方で、70歳までの就業確保措置を実施済みの企業は34.8%にとどまります。制度上の雇用継続は広がっても、能力を活かし切る設計はまだ発展途上です。

賃金面の段差も明確です。厚生労働省の賃金構造基本統計調査を基にした比較表では、一般労働者の所定内給与額は55〜59歳が月38.82万円、60〜64歳が31.76万円、65〜69歳が27.69万円です。55〜59歳から60〜64歳への低下率は約18%です。個別企業ではさらに大きな下落もあり、定年前と同じような業務を担う場合ほど不満が生じやすくなります。

労働政策研究・研修機構の高年齢者雇用調査でも、60代前半の継続雇用者は嘱託・契約社員が60.7%、正社員が34.2%でした。仕事内容は「定年前とまったく同じ」または「同じだが責任の重さが変わる」に回答が集中しています。つまり、仕事の連続性と処遇の非連続性が併存しているのです。

企業会計の視点では、ここに見えにくい損失があります。給与を下げれば短期的な人件費は軽くなりますが、顧客知識、障害対応の勘所、規制業種での案件経験といった無形資産が眠ります。ベテランの知見は貸借対照表に載りませんが、案件の遅延や品質事故を防ぐ経済価値を持ちます。処遇を一律に落とす設計は、人的資本の減損を見逃す会計に近いのです。

法制度だけでは埋まらない活躍余地

高年齢者雇用安定法は、65歳までの雇用確保を義務とし、70歳までの就業機会確保を努力義務としています。政策の方向は明確ですが、法律が保証するのは主に「働く場」です。どの仕事で、どの責任を負い、どの報酬で働くのかまでは企業の設計力に委ねられます。

内閣府の高齢社会白書によれば、2024年の労働力人口に占める65歳以上の割合は13.6%で、65〜69歳の労働力人口比率は54.9%です。65歳以上の就業者数は21年連続で前年を上回っています。働く高齢者は例外ではなく、労働市場の重要な一部になりました。

同時に、働きたい理由や条件は一様ではありません。内閣府の高齢者の経済生活に関する調査では、何歳ごろまで収入を伴う仕事をしたいかについて「65歳くらいまで」が23.7%、「働けるうちはいつまでも」が22.4%でした。仕事選びでは、収入だけでなく経験やスキルを活かせること、通いやすさ、やりがいも重視されています。

この多様性を無視して、年齢だけで役割を縮小すると、静かな退職は合理的な防衛行動になります。東京商工リサーチの2025年調査では、45歳以上の正社員が半数以上を占める企業は64.2%です。役職定年の導入は大企業で41.0%、中小企業で17.8%でした。大企業ほどポストの新陳代謝を制度化してきた一方で、その後の仕事設計が弱ければ、組織内に大きな未活用資産を抱えます。

最高裁の名古屋自動車学校事件判決も、再雇用後の賃金設計に注意を促しました。判決は単純な「何割ならよい」という基準ではなく、基本給や賞与の性質、支給目的、労使交渉の事情を踏まえて不合理性を判断すべきだと示しています。企業は年齢を理由に処遇を変えるだけでなく、職務と報酬の説明責任を負う時代に入っています。

富士通のモダナイマイスター制度の狙い

レガシー技術を収益源へ戻す設計

富士通の一手が注目されるのは、シニア人材を「配慮の対象」ではなく、成長領域の担い手に位置づけた点です。リクナビNEXTジャーナルの取材で同社幹部は、管理職の役職定年を廃止し、定年後60歳を超えてもラインマネジメントやスペシャリストとして活躍する人がいると説明しています。

核になるのが、2023年12月に導入した「モダナイマイスター制度」です。対象は、顧客の古い基幹システムを現代的なシステムへ刷新するモダナイゼーション領域です。同制度では、必要なスキルとマインドを備えた人に称号を付与し、独自の給与体系を適用します。60歳の定年後も一般社員同等の給与水準を維持し、65歳を超えて働き続けることも可能です。成果によっては、定年後に報酬が上がる人もいるとされています。

この制度は、富士通の事業構造とよくかみ合っています。デジタル庁ニュースが紹介したレガシーシステムモダン化委員会の総括レポートでは、ユーザー企業の61%、大企業では74%にレガシーシステムが残っているとされます。2018年の経済産業省DXレポートで示された「2025年の崖」は、既存システムの老朽化と人材引退がDXを阻むリスクを象徴する言葉でした。

レガシーシステムの刷新は、新しいプログラミング言語だけでは解けません。長年の改修で複雑化した基幹システム、設計書が十分に残っていない業務ロジック、金融や公共分野に特有の運用慣行を読み解く必要があります。富士通は、こうした「昔取った杵柄」を、古いスキルではなく希少な移行能力として再価格付けしました。

ここに財務的な合理性があります。新規採用で最新技術人材を集めるだけでは、レガシー環境の文脈知を補えません。外部人材の採用単価が上がる中で、社内に残る知識を収益案件へ結び直せれば、採用コストの抑制、プロジェクト採算の改善、顧客継続率の維持に効きます。シニア処遇の引き上げは費用増に見えますが、稼働率と粗利を伴えば人的資本投資になります。

ジョブ型と公募異動が支える適所適材

モダナイマイスター制度が単発の優遇策にとどまらないのは、富士通が進めてきたジョブ型人材マネジメントの上に置かれているためです。同社は2020年度から幹部社員へジョブ型を導入し、2022年度に国内グループの一般社員へ広げました。厚生労働省の事例紹介では、職責の高さを示す「FUJITSU Level」と職種の組み合わせで社内ポジションを約450種類に分類し、役割や人材要件を明確化していると説明されています。

従来の日本型人事は、いまいる人材をどこに置くかという「適材適所」になりがちでした。富士通が掲げるのは、事業戦略から必要なポジションを設計し、そこに最適な人材を置く「適所適材」です。この順番の違いは大きいです。年齢や在籍年数ではなく、事業に必要な職務から報酬を考えるため、60歳を超えた人材でも高い職責なら高く処遇できます。

社内ポスティングも重要です。厚生労働省の事例では、2020〜2022年度の3年間で累計約1万9000人が応募し、約7200人が実際に異動しました。リクナビNEXTジャーナルの取材では、グループ内で常時約1000ポジションが公開され、入社2年目以降なら何度でも挑戦できるとされています。上司の推薦を待つのではなく、本人が仕事を選ぶ仕組みです。

この仕組みは、静かな退職への処方箋にもなります。マイナビ調査では、異動や転勤について「会社の指示」が強い傾向があると回答した企業が41.9%でした。評価基準や結果が公表されないという回答も一定数あります。本人の希望と会社の配置がズレるほど、意欲は細ります。富士通のように職務を公開し、応募可能性を広げる設計は、納得感を制度で担保する試みです。

もちろん、全員が高報酬ポストに移れるわけではありません。ジョブ型は、職務の価値と成果を可視化する分、降格や職責変更も起こり得ます。ただし、年齢で一律に処遇を落とすより、説明可能性は高まります。企業価値の観点では、人材の再配置が売上成長や利益率にどうつながるかを測れることが重要です。富士通の施策は、シニア活用を人情論からKPI管理へ移す実験でもあります。

処遇改革が抱える公平性と再現性の課題

富士通型の改革には、少なくとも三つのリスクがあります。第一は、公平性です。60歳超の一部人材の給与を維持または引き上げるなら、若手や中堅は「なぜその人が高く評価されるのか」を理解できなければなりません。モダナイゼーション案件の難度、顧客への影響、代替困難性、後進育成への貢献を明確にしないと、世代間の不満に変わります。

第二は、スキルの陳腐化です。レガシー技術に詳しいだけでは、モダナイゼーションの担い手にはなれません。クラウド、セキュリティ、データ連携、生成AI活用など、新しい技術と接続できる学習が必要です。富士通はキャリアCafe、キャリア相談、1on1、UdemyやLinkedInを含む学習機会を整えていますが、制度の成否は学び直しを日常業務に組み込めるかに左右されます。

第三は、再現性です。富士通には官公庁、金融、エンタープライズ領域での大規模システム運用経験があり、モダナイゼーション需要とシニアの経験が重なりやすい土壌があります。すべての企業が同じ制度名を導入しても、収益案件と結びつかなければ人件費だけが先行します。重要なのは、ベテランの経験をどの顧客価値に変換するかを先に定義することです。

人手不足は、この改革を後押しします。帝国データバンクの2025年10月調査では、正社員不足を感じる企業は51.6%で、10月として4年連続の半数超でした。採用市場で若手や高度IT人材を奪い合うだけでは限界があります。社内のシニア人材を再評価する企業は、採用競争に巻き込まれにくい供給源を持つことになります。

ただし、処遇を上げれば意欲が戻るわけではありません。クアルトリクスの調査では、日本の静かな退職者は13%で、主な人物像として職場で孤立し実力を発揮できていない中堅・シニア従業員が示されています。問題は給与だけでなく、関係性と役割認識です。高い報酬、高い期待、十分な対話がそろって初めて、静かな退職は「静かな再起動」に変わります。

企業がシニア投資で確認すべき指標

シニア活用を本気で経営課題にするなら、企業は年齢別人員表だけでは足りません。確認すべきは、60歳以上の人材がどの高付加価値領域に配置され、どれだけ売上、粗利、品質、育成に寄与しているかです。人件費を費用として見るだけでなく、案件リスクを下げる保険価値や顧客維持への効果も測る必要があります。

投資家や経営者が注目すべき指標は、シニアの高職責ポスト比率、社内公募による異動者数、再雇用後の報酬レンジ、重要スキルの棚卸し率、後継者育成の実績です。さらに、静かな退職に近い低関与層がどの職場に偏っているかを、エンゲージメント調査と配置データで見ることも欠かせません。

富士通のモダナイマイスター制度は、60歳以降の給与を守る制度というより、古い経験を新しい収益機会へ接続する人材ポートフォリオ戦略です。日本企業に求められているのは、ベテランを温存することではなく、価値が出る場所へ再配置し、正当に報いる設計です。静かな退職を減らす最短距離は、精神論ではなく、仕事と処遇の釣り合いを取り戻すことにあります。

参考資料:

佐
佐藤 理恵

企業分析・M&A

会計士としての経験を活かし、企業の財務構造やM&A戦略を深掘り。数字の裏にある経営者の意思決定を読み解く。

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