ニトリ似鳥会長の壮絶ないじめ体験と成功への道
はじめに
家具・インテリア大手ニトリホールディングスの創業者である似鳥昭雄会長は、日本を代表する経営者の一人です。売上高約1兆円規模の企業グループを一代で築き上げた似鳥氏ですが、その幼少期は壮絶ないじめと貧困に満ちたものでした。
かつて「ニタリくん」というあだ名で呼ばれ、クラスメイトからの激しいいじめに耐え続けた少年時代。似鳥氏はなぜそのように呼ばれたのでしょうか。そして、その経験はどのように現在の経営哲学に結びついているのでしょうか。
本記事では、似鳥会長の壮絶な幼少期のエピソードから、74歳で発達障害と診断された経緯、そして逆境を力に変えた経営哲学までを掘り下げます。
「ニタリくん」と呼ばれた少年時代
貧困と差別の中で
似鳥昭雄氏は1944年、樺太(現サハリン)で生まれました。戦後、家族とともに北海道・札幌に引き揚げ、引き揚げ者が集まる長屋で極貧生活を送りました。父親はヤミ米の販売で生計を立てており、似鳥少年はクラスで最も貧しい家庭の子どもでした。
学校では「ヤミ屋、ヤミ屋」と罵られ、ツギハギだらけの衣類をバカにされる日々が続きました。おしりに当てたツギをボール遊びの的にされ、逃げるとボコボコに叩かれるという壮絶ないじめを受けていたのです。中学生になっても状況は変わらず、配達中に自転車ごと近所の川に突き落とされたこともあったといいます。
いじめられても「ニタニタ」していた理由
「ニタリくん」というあだ名の由来は、いじめられてもいつもニタニタと笑っていたことにあります。似鳥氏自身が後に語ったところによると、道化を演じることで自分のコンプレックスを誤魔化していたのです。
先生の言うことを茶化したり、教室の入り口に黒板消しを挟んで先生の頭に当たっても知らんぷりをしたりと、クラスの「お調子者」を演じ続けました。同級生たちの目には「いじめられっ子」というよりも「お調子者」として映っていたようです。これは、幼いながらも似鳥氏が身につけた一種の処世術でした。
学業でも苦戦の連続
いじめだけでなく、学業面でも似鳥氏は大きな困難を抱えていました。通信簿は5段階評価で1か2ばかり。小学4年生まで通った幌北小学校の担任教師のご家族からは、後年になって「クラスで1人だけ漢字で名前を書けないのは似鳥君だけで、教えても教えても覚えられず、結局ひらがなで書いていました」という手紙が届いたほどです。
成績は常に学年最下位に近く、高校受験では受験した学校すべてに不合格となりました。最終的に、母親が校長に米1俵を贈ることで補欠合格を勝ち取ったという逸話も残っています。
74歳で判明した「発達障害」という真実
テレビ番組がきっかけで受診
似鳥氏の人生に大きな転機が訪れたのは74歳のときでした。発達障害を特集したテレビ番組を見ていたところ、紹介された特徴が自分にぴったり当てはまることに気づいたのです。すぐに医師の診察を受け、発達障害と正式に診断されました。
幼少期から漢字が覚えられなかったこと、学業成績が振るわなかったことの背景には、発達障害という特性があったのです。似鳥氏にとって、長年の疑問が解けた瞬間だったといえます。
「病気ではなく特性」という前向きな捉え方
似鳥氏は自身の発達障害について「これは病気ではなく特性だ」と語っています。物事を覚えられない反面、嫌なことをすぐに忘れてしまうため、いつも明るく前向きでいられるという利点があると分析しています。
この前向きな姿勢こそが、数々の失敗や挫折を乗り越えて成功を掴んだ原動力だったのかもしれません。似鳥氏は著書『発達障害は才能です』を出版し、「成功する経営者には意外と発達障害の人が多い」という持論を展開しています。
現在は、発達障害児の「異能・異才」を伸ばす活動にも積極的に協力しており、自身の経験を社会に還元する取り組みを続けています。
逆境が育んだ経営哲学
「度胸と愛嬌」で人生を切り拓く
似鳥氏は札幌短期大学を卒業後、北海学園大学に編入学しました。卒業後に勤めた広告会社では仕事が獲れず、わずか半年で解雇されています。その後、叔父の会社で土木作業に従事した時期を経て、23歳のときに家族から100万円を借りて「似鳥家具店」を創業しました。
創業当初は、若い似鳥氏に家具を卸してくれる業者がなかなか見つからず、対人恐怖症の気もあって接客もうまくいきませんでした。しかし、似鳥氏は「度胸と愛嬌があれば人生なんとかなる」という信念のもと、粘り強く事業を続けました。
アメリカ研修での「覚醒」
1972年、似鳥氏はアメリカ・ロサンゼルスでの家具業者向け研修セミナーに参加しました。この経験が人生観を大きく変える転機となります。アメリカの豊かな暮らしを目の当たりにし、「日本の住まいを、お手頃な価格で豊かにしたい」というロマンを抱くようになったのです。
この志を原動力に、客の立場に立った商品づくりを推進。1980年代後半には北海道全域に店舗網を広げ、1992年から全国展開を開始しました。
36期連続増収増益の記録とその後
ニトリホールディングスは2023年3月期まで、世界記録となる36期連続の増収営業増益を達成しました。しかし、コロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻の影響で原材料費や物流費が高騰し、円安も重なったことで、この記録は途絶えました。
似鳥会長はこの結果を重く受け止め、自ら経営の最前線に復帰することを決断。商品開発プロセスの全面的な見直しに着手し、AIの導入によって新商品投入までの期間を従来の6か月から3か月以内に短縮する体制を構築しました。2026年3月期は売上高9,880億円、営業利益1,292億円と回復基調にあります。
注意点・今後の展望
いじめ経験の「美化」への注意
似鳥会長の成功物語は、いじめの経験が後の成功につながったという文脈で語られることがあります。しかし、いじめそのものが人を成長させるわけではありません。似鳥氏が成功したのは、いじめに耐えたからではなく、逆境の中でも前向きさを失わず、自分なりの処世術を見出し、チャンスを掴む力を養ったからです。
発達障害への社会的理解の広がり
似鳥氏が74歳で発達障害と診断されたエピソードは、大人の発達障害に対する社会的認知を高めるきっかけとなりました。早期発見と適切なサポートがあれば、特性を強みに変えることができるという事実は、教育現場や職場における支援体制の重要性を示しています。
ニトリの今後
ニトリホールディングスは、国際情勢の変化を逆手に取った調達戦略や、家電分野への本格参入など、新たな成長軸の構築を進めています。似鳥会長は81歳を超えた現在も経営の第一線に立ち続けており、「ピンチはチャンス」という持論を実践し続けています。
まとめ
「ニタリくん」と呼ばれた少年は、壮絶ないじめや貧困、学業の困難を乗り越え、日本有数の企業グループを築き上げました。似鳥昭雄氏の物語が教えてくれるのは、逆境そのものが人を強くするのではなく、逆境の中で「どう振る舞うか」が人生を決めるということです。
74歳で発達障害と診断されたことで、長年の苦労の原因が明らかになりましたが、似鳥氏はそれを「特性」として前向きに捉えています。いじめられてもニタニタ笑い続けた少年の精神は、今も経営者としての似鳥氏の根幹にあるのかもしれません。
困難な状況に直面したとき、似鳥氏の「度胸と愛嬌があれば人生なんとかなる」という言葉は、多くの人の背中を押してくれるのではないでしょうか。
参考資料:
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