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日銀への市場不信が円の信認を揺らす理由と政策正常化の難しさとは

by 松本 浩司
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0.75%据え置きでも揺らぐ円の信認

円相場を語るとき、しばしば「日米金利差」だけが原因のように説明されます。しかし実際には、通貨の強さは金利の水準だけでなく、その国の中央銀行がどれだけ一貫した反応を示すかにも左右されます。市場が中央銀行の説明を価格に織り込めるなら、多少のショックがあっても通貨は持ちこたえやすくなります。

いまの日本で問われているのは、まさにその点です。日銀は2026年3月の金融政策決定会合で政策金利を0.75%に据え置きつつ、経済・物価見通しが実現すれば今後も利上げを続ける方針を維持しました。一方で、国債市場の機能はなお弱く、企業側も2026年度の想定為替レートを1ドル150.10円に置いています。本稿では、なぜ「日銀が市場に信用されにくいこと」が円の弱さにつながるのかを、政策運営、国債市場、企業行動の三つから整理します。

円相場を動かす日銀への信用

市場が問う反応関数の読みやすさ

市場が中央銀行を「信用する」とは、政策目標そのものを信じること以上に、物価や景気が動いたときにどう反応するかが読める状態を指します。日銀は3月19日の声明で、消費者物価指数のコアが最近はおおむね2%程度まで鈍化した一方、見通しが実現すれば利上げを続けると示しました。これは方向としては明快ですが、同じ文書の脚注では高田審議委員が1.0%への引き上げを主張し、田村審議委員は基調的物価上昇率が2026年度初めから2%と整合的になる可能性に言及しています。

3月30日公表の「主な意見」でも、政策委員の見方にはかなり幅があります。ある意見は「基調的な物価上昇率はまだ2%の手前」とし、別の意見は原油高や円安のパススルー強化によって2%を上回るリスクを強く警戒しています。つまり、市場から見ると、同じデータを前にしても日銀内部の評価軸がまだ完全には収れんしていません。これでは、円安が進んだときにどの程度機動的に反応するのか、逆に景気下振れ時にどこまで慎重化するのかが読み切りにくくなります。

0.75%でも残るインフレ判断の揺れ

ここが難しいのは、足元の物価指標が一枚岩ではないことです。総務省統計局によれば、2026年2月の全国CPIは総合で前年同月比1.3%、生鮮食品を除く総合で1.6%上昇でした。その一方で、日銀の1月展望レポートでは2026年度のコアCPI見通しを1.9%、2027年度を2.0%としており、基調的な物価は時間をかけて2%へ近づくという筋書きを維持しています。

このズレは、金融政策の説明を難しくします。市場にとって重要なのは足元の数字だけではなく、日銀が何を「一時的」とみなし、何を「基調」とみなしているかです。3月の「主な意見」では、物価の基調を丁寧に示すためにコア指標の拡充を求める声まで出ました。中央銀行自身が説明補強の必要性を認めている以上、円相場が「日銀は本当に物価を制御できるのか」という疑念にさらされやすいのは自然です。

市場が日銀を信用しにくい構造

国債市場機能の回復途上

日銀への信用を弱める最大の構造要因は、国債市場での存在感がなお大きすぎることです。日銀の3月20日時点のバランスシートでは、総資産678.3兆円のうち日本国債等は547.0兆円に達していました。資産の大半を国債等が占める状態では、短期金利を引き上げても長期金利の価格発見が完全に市場任せにはなりません。市場参加者は「本来の需給で決まった金利」を見たいのに、中央銀行の保有残高がなお巨大であるため、その輪郭がぼやけます。

実際、2025年に始めた買い入れ減額は続いており、2026年4月の長期国債買い入れ予定額も月間2兆7050億円となお大きい水準です。しかも、日銀自身の2026年2月の債券市場サーベイでは、債券市場機能度判断DIがマイナス26と低く、3カ月前比でも13ポイント悪化しました。ビッドアスク・スプレッドに関するDIもマイナス31で、悪化幅は20ポイントです。IMFは2025年の対日4条協議で、日銀のバランスシート縮小計画は明確に伝達されており、市場機能改善にも資すると評価しましたが、現場の参加者調査を見る限り、改善はまだ途中段階です。

企業行動に織り込まれた円安前提

もう一つ重要なのは、企業がすでに「円はすぐには戻らない」と考えていることです。日銀短観では、全規模全産業ベースの2026年度想定為替レートは1ドル150.10円でした。企業の前提がこれだけ円安方向に置かれているということは、日銀の正常化が進んでも急速な円高は見込みにくいと企業がみていることを意味します。市場の期待がこうして企業計画にまで定着すると、円安は単なる相場変動ではなく、価格設定や仕入れ判断に組み込まれた「前提」へ変わります。

短観の価格判断も示唆的です。2026年3月調査では、大企業製造業の販売価格DIが28に対し、仕入価格DIは46でした。小企業製造業では販売価格DIが31に対し、仕入価格DIは62です。円安や資源高によるコスト増を完全には転嫁できていない構図が見えます。つまり、円安は輸出企業の追い風だけではなく、中小企業や内需企業には収益圧迫として働きやすいのです。それでも円安前提が維持されるのは、市場が「日銀は急いで円安を止めに来ない」とみているからです。

4月日銀会合と国債市場機能の焦点

ここで注意したいのは、「円が信頼されない」という表現を通貨危機と同一視しないことです。日本は依然として対外純資産を持ち、IMFも日本の柔軟な為替制度を評価しています。問題は、円が全面的に見放されていることではなく、日銀の説明と市場価格の間になお距離があり、円がポジティブな材料で反発しにくいことです。

今後の焦点は三つあります。第1に、4月末の日銀会合で新しい展望レポートと買い入れ減額方針がどこまで整合的に示されるか。第2に、原油高や円安がコストプッシュで終わるのか、賃金とインフレ期待を通じて二次的な物価上振れに変わるのか。第3に、国債市場機能の回復が実感できる水準まで進むかです。この三点で一貫性が見えれば、円の弱さは修正されやすくなります。逆に、説明の曖昧さと市場機能の弱さが残るなら、円安は長引きやすいでしょう。

0.75%より重い日銀正常化の条件

円が強くなるかどうかは、単に日米の金利差が縮むかでは決まりません。市場が日銀の反応関数を読めるか、国債市場で長期金利がどこまで自然に形成されるか、そして企業が円安前提を修正するかがそろって初めて、通貨への信認は戻ります。

いまの日銀は、利上げを始めたにもかかわらず、なお「正常化の途中」にあります。政策金利0.75%という数字よりも重いのは、巨大な保有国債、割れる物価判断、円安を前提にした企業行動です。円の信認を取り戻すには、追加利上げの有無だけでなく、物価指標の説明、国債市場機能の改善、買い入れ減額の予見可能性を一体で示せるかが決定的に重要になります。

参考資料:

松
松本 浩司

マクロ経済・国際経済

国際経済の潮流を、通商政策・為替・新興国の動向から多角的に分析。グローバル経済の「次の震源地」を見極める。

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